主にひとりごと

タイトル通り、ときぶいすの担によるひとりごとです。感じたことを語ったり、好きなことを話したり

「あ」の音で聞く『ドラゴンフライ』

この記事は、青春ラジオ小説「オートリバース」という作品に関する内容です。

HiHi Jetsの猪狩くんと作間くんが主役の2人を務めた、小説原作のラジオドラマ。

知らない人は以下のリンクから聞いてみてほしい(※4月25日までの限定(再)公開)

https://radiko.jp/rg/special/autoreverse/?utm_source=applive&utm_medium=referral&utm_campaign=202104autoreverse&survey_id=67193ce4ad8f57bc5242cb543fe31049


公開が終わっても小説で読むことはできるのでそちらを手に取ってみるのもいいと思います。

ちなみに私はまだ原作の小説は未読です

オートリバースについて

時は1981年。

親の離婚の都合で千葉に引っ越した直(チョク/演:猪狩)は、同じ境遇を持った高階(たかしな/演:作間)と出会い、つるむようになる。

この世界のどこにも居場所なんてないと思っていた直はある日、高階と共に小泉今日子というアイドルをトップスターに押し上げるべく「親衛隊」に入ることを決意する。



雑にあらすじを説明するとこんな感じ。
まずね、主役2人の声でのお芝居がいいんだ。
原作者の方が、ビジュアルでのイメージは配役が逆だったけど声を聞いてこちらに変えた、とインタビューで語っていたのを読んだ。
ガリさんの丸みがあって素朴でありながらも、何となく茫洋としても聞こえる声は直に似合っている。
原作者の書き方なのか、あるいは「ラジオ小説」という媒体の特徴なのか、それとも直がストーリーテラーも担っていたからなのか。
時折、直はすごく詩的な言い回しをする。
それが、その世界に存在していながらにしてどこにも居場所がないと感じていた直の、どことない感情の浮遊感みたいなものに繋がっているように思えてすごくすごくよかった。


作間くんの場合は飄々としつつも声はすごくまっすぐで、不意に零れる吐息や失笑の音が絶妙で。声の通りが良いだけに、喋ってるだけでうっすらと圧が感じられる(もちろん、そういう芝居をしているからだろうけど。それがちゃんと、音声から届いてくる)。

私は2人の顔を知っているからどちらともが喋っているところが想像できるんだけど、知らない人が聞いても、声の調子と台詞等から感じられるキャラクター性に大きな差異が生まれないだろうと思わせるそれは、間違いなく2人の“腕”も大きな要因の1つだと思った。



ネタバレはあんまりしないけど、ここだけ。
どうしてもこれだけは言っておきたいので書いてしまいます

(※飛ばせるようにリンクは貼るので読みたくない方は冒頭に戻って「ドラゴンフライ」の項目に進んでください)






初めてこのラジオ小説を聞いた時(※ネタバレ注意)

第1話を聞いて。
2人の最後の会話。
高階の目が、オニヤンマと同じエメラルドグリーンだという会話のくだり。
その、直の最後の語りを聞いた時。

「えぇ〜〜〜これ絶対に最後に高階が死んじゃうやつじゃあん!!!!」

と喚いてしまったのをよく覚えてる。


同じように感じた人がどれくらいいるのかは分からないけど。
普段、本を読んだりアニメやドラマを見たり、舞台観劇をする人で、同じ感覚になる人がいるかまでは知らないけど。
私は1話を聞いた時点で、「あっ高階死ぬんだな」と思った。
それは、誤解を恐れずに言うのなら、最終的にそうなるのが展開として1番収まりがいいように感じたから。

お芝居を見てる時、不意に作り手の意図が登場人物の心情や言動に濃く絡んでいると分かる瞬間がある。
それこそ、“死”とか“失恋”あるいは“恋の成就”等はその気配を感じ取りやすいように思ってる。
いわゆる、「フラグ」ってやつだという認識でいいと思う。

それが回収されるのが、“物語”の形として綺麗に思える。
それを、受け取り手が望むか望まないかは別として。


で、話が進んでいくにつれ、直や高階に思い入れが強くなり愛着が湧いてくる程に、そうならなきゃいいのにと願ってしまうのに「それ」目掛けて話の展開が動いていくのが痛烈に心臓を打ってきた。
それこそ、もう戻れないところまできた段階で「そう」なって。
心がぐったりしているのに最後までちゃんと見届けて(聞き届けて)やりたいという愛着まで芽生えていて。

「創作物に打ちのめされる」ってこういう感情だったな。

と、久しぶりに感じた。

簡単に言えば、情緒をかなり振り乱された。


そして私の事を何より強く打ちのめしたのは、「オートリバース」のテーマソングとなっている『ドラゴンフライ』だった。

※ここからようやく本編です



『ドラゴンフライ』

オートリバースの原作者の方が作詞を担当されたこの曲は、まさにオートリバースのテーマソング。知らないで聞いてもグッとくるけど、知ってて聞いたらオートリバースとリンクしているところをたくさん見つけることができてさらにグッとくる。


私は初めてこの曲を聞いた時、オートリバースの存在はぶっちゃけ知らなかった。
たまたま聞いて、「あっこれはヤバいやつでは?」と思い鬼のようにリピートした。
誇張ではなく、おそらく3日でだいたい200回くらい聞いてたと思う。
中でも最後の「会いたい  この胸の穴は貴方」と歌う作間くんと「ああ痛い  この胸の穴は貴方」と歌うガリさんの対比に心臓をやられた。
というか、「あ」の音の捉え方を中心に彼らの歌い方がことごとく対比されていて堪らない気持ちになる。



※これは本人たちがどこまで意図的なのか分かんないし本人がこうと決めて歌ってるのかレコーディング時とかに大人に言われてのアプローチなのか、それとも手癖なのかも分からないままで書いてますので予めご理解ください。
※また、自分の捉え方こそが正しいとも思っていませんので「お前の感じ方は間違ってる」という意図の反論も受け付けかねます



作間くんとガリさんがソロで歌ってる「この胸の穴は貴方」の「あ」の音は2箇所。

まず作間くんはそのどちらともにアクセントをしっかり入れてくる。
その音に焦点を当て、直前で一瞬喉で呼気を止め、パンと破裂させるようにその音を強調してる。
こういう歌い方の効果って、歌そのものが単調にならないような区切りやメリハリの役目があったりするし、歌詞に注目するとその部分の「詩」や「言葉」を印象づけやすい。あと個人的にですが音程のコントロールがやりやすくなるように思うので、その部分の音を外したくない時とかは意識的にやったりするかと。

でも、流石に「[あ]なは[あ]なた」とこの短いスパンで2度もアクセントをつけるってのは珍しい方だと思う(ずっとア段の音が続くしメロディーラインもあまり変わらないので最低でもどっちかには入れた方が聞きやすいだろうけど)。

この部分の歌詞で両方の「あ」にアクセント入れるのって癖のようにいつも全ての「あ」にアクセントを入れてるわけでもない限りは意識的にやらなきゃできないことだと思う。
そしてこれを検証するため、Jr.チャンネルにて公開されている他の楽曲もいくつか聞いてみたけど、どうも前者ではなさそうなので、意図的に両方にアクセントをつけたものと考える。

両方にアクセントをつけたのが意図的だとするのなら、それには必ず理由が存在する。
「穴」「貴方」であることをしっかりと押し出したかった理由が。
オートリバースで作間くんが演じた高階を思うと、作間くんが歌う「貴方」小泉今日子であるのは明白。高階の中に空いた大きな穴、それを埋められる小泉のために高階は親衛隊の勢力をどんどん大きくしようとしていたんだから。
でも、ここからは私の豊かな妄想力がものを言ってるんだという前提で。
作間くんの歌い方を聞いていると、それ“だけ”に留まらないんじゃないのかなって思えてしまう。 

このパートを、すっごくチャーミングに歌うんですよね、作間くん。
歌ってる時の声もそうなんですけど、「この胸[の]」←の音とかも、音の形がすごく可愛い。語尾もちょっと弾んだ感じで、愛らしさがある。
可愛らしくて、どこか甘酸っぱさを漂わせるような、究極にピュアな歌い方。
そう、まるで、1人の男の子が恋をしているみたいに。
高階は小泉のことを直に話す時、最初に「好きな女」と表現した。
「好きな女ができた」と。
1人のアイドルを応援するファンであり親衛隊の1人でありながら、アイドルに恋をする男の子みたいな側面も、もしかしたらあったのかもしれない。
やり方こそ間違えたけれど、高階は小泉今日子というアイドルに対して、一人の男として真剣だった。
高階の心の穴を埋めることができていたのは小泉で間違いない。
ただ、これは私の感じ方だけど。
最終話、唯一視点が高階に移る場面での語りを聞いて。
きっと高階にはいっぱいの“穴”が空いていて、その一つ一つにハマる“貴方”がいたのかもしれないな、とも思った。
だからこその「[あ]なは[あ]なた」という、一つ一つを限定した歌い方なのかもしれない、とも。

その1番多くを占めるのがきっと小泉で、その“貴方”の1人は直だったりもするんだろうな、と。



で、一方のガリさんはというと。

ガリさんの方は、どちらにも分かりやすいアクセントは入ってないんですよね。

1つ目の「あ」の音には半母音の[w]の音が付属してて、2つ目は喉をしゃくるような歌い方(イメージは[h]の音が語頭にくっついてる感じ)で、強弱はつけつつも呼気が止まることは一切なく歌いきっている。
ガリさんの歌い方って実は結構難しい。
何が難しいって、音を外さないようにするのが難しい。
ああいう、“がなる”ように聞こえる歌い方って感情を込めやすいんだけど、その分だけ音のコントロールという点での難易度は上がると思う。
これが上手くいってるのはガリさんの喉のコントロールが上手いからだろうし、ラップ担当で元々“がなり”や“しゃくり”は上手いであろうガリさんならではの歌い方でもあると思う。


さて、対照的な2人の歌い方。
オートリバースの存在を知らず『ドラゴンフライ』を聞いてた時、私は
「この歌は3人以上の登場人物がいるんだろうな」
と感じていた。
正確には、最後の2人が歌う「貴方」は別の人を指しているんだろうと。
これは偏見だけど、大体において「僕ら」2人以上の登場人物が出てくる歌における「貴方」はもう片方を指すことが多いように思う(あるいは、聞き手を指すことも多い)。
でも、この歌から感じた「貴方」のベクトルは完全なる“第三者”の存在だった。
最初、『ドラゴンフライ』を聞いてるだけではどっちのベクトルがもう片方でどっちが第三者を見ているのかは分からなかったけど。
オートリバースを聞いて。
ガリさんが歌う“貴方”は高階のことなんだろうなと確信した

“がなる”ような歌い方は感情的にも聞こえる。
この世界のどこにも居場所はないと色んなものを諦めて、退屈で、大人しく仮の居場所で生きていた直は色んなものに流されるように生きていたズルズル人でもあるけれど。
唯一。
高階に関することだけはハッキリと感情的になっていた
不良の先輩に“高階のパシリ”だと揶揄された時も。
川西が登場した時も。
終盤、“制裁”を加えられるかもしれないとなった高階を庇おうとした時も。
作中で直がムキになったり感情を露わにしたのは高階に関する場面だけだった。
腹の底からかき集めたような声量で声を張り上げる、それを見せたのは。

だから、「ああ痛い」と前置きがあった上で。
「この胸の[あ]なは[あ]なた」と、どこか振り絞るように歌うそれは、きっと直から高階に向けられた言葉なんだろうと、オートリバースを聞いた後に『ドラゴンフライ』を聞いてよりいっそう苦しくなった。
だって語頭音とはいえ。
冒頭の[あ]の小さな光 求めて」と歌う、その時の「あ」の音にはしっかりとアクセントが入ってるんだもの。
あぁ、直にとっての「小さな光」小泉(あるいは親衛隊)で。
「胸に空いた穴」高階なんだな、と。
聞き手(読み手)の想像力を掻き立てるには十分すぎる歌い方だと思った。



『ドラゴンフライ』という楽曲は。
オートリバースのために作られ、それを書いた人と同じ人が言葉を綴ったからここ痛烈に胸を打ち、私のような「創作物から感じられる人の心に触れる」のが好きなタイプの人間にぶっ刺さるんだろうなと思う。
もし、創作物に打ちのめされてみたいと思う人がいれば、聞いてみてほしい。
当時を懐かしがる世代の人も。
知らないけれど覗き見してみたいと思う人も。
その頃を駆け抜けた彼らを、耳で読んでみるのはきっと楽しいから。

"HiHi Jets「ドラゴンフライ」(Johnnys' Jr. Island FES)" を YouTube で見る - https://youtu.be/pQ_GSiDNPQ4

いずれ天才へと至る人

今からちょうど1年くらい前だったと思う。
とあるアイドル誌にて、宮舘さんが「自分のことが好きじゃない」と発言したことがある。
それは3:3:3の対談形式で、読者からのお悩み相談(各組同じ相談)をするというコンセプトのものだった。
「自分のことが好きになれない」という人の相談に対して宮舘さんは「俺も自分のことが嫌いだからよく分かる」と同調していたと記憶している。

正直、かなりびっくりした。



えっそのキャラで????



って思った。

これは穿った見方になるかもしれないけど。
“舘様”と名乗りメンバーからもファンからも「国王」「貴族」という扱いをされ、それを受け入れているのって、少なからず自分のことが好きじゃないとできないことだと思ってたから。
ナルシズムではないけれど、本当に自分が嫌いなら例えキャラ付けであったとしても他人からそういう持ち上げられ方をするのは耐え難いんじゃないのかな、と。

あとそれから、宮舘さんって他の場面における発言でも、普段の立ち振る舞いでもパフォーマンスでも、大体において確固たる自分の像があって、そのプロデュースには経験と実績に裏打ちされた自信があるようにも感じていたから。

だから、すごくびっくりした。
同時に、何となく納得している気持ちもあった。

だって宮舘さんって理想主義完璧主義者だから。


ストイックを地で行くような人。
妥協ができない人。
何事に対しても常に前のめりな人。
それが、宮舘さんを好きになってからブレることなくずっと抱いているこの人に対する印象なんだけど。
宮舘さんは他の誰かよりも「“できない”ことに対する忌避感が強い」んじゃないのかなと思う。
向いてる向いてないは別の話として。
自分の中に「できないこと」があるのが許せないんじゃないのかなって。
だから、厳密に言うとができないことがある、今の自分が嫌い」なんだろうと思う。

宮舘さんって、「困った時の舘様」と言われるくらいにオールマイティな人で、「Youは何でもできるね」ってかつてジャニーさんに言われたことが自分の指針になっていて。同時に「You1人に何ができるの」って言われたことがものすごく辛かったと何度も話すくらい大きく心に刺さっている人。
元々、すごく負けず嫌いで、「できないこと」「できる」に昇華させるために努力する人で。
「できないことがある自分」を、きっと受け容れることができないんだろうと。
そんな風に思う。
そして「できない」「できる」になったら、その次は「上手くできる」「もっと上手くできる」を目指すような、そんなストイックの塊みたいな人。
それを強く感じたのは滝沢歌舞伎ZERO2020The Movieに関するインタビューにて。
試写をした時に「自分のフライングを見ると、どうしても反省点が先に目に付いた」と話しているのを読んで。
映画を見てから改めてそのインタビューを読み返してみて。
あぁ、本当にこの人って自分に満足できない人なんだなって思った。
「更に高みへ」「Plus ultra」じゃないけれど。
常に「もっとできただろう」「次にもっと上手くやるには」“先”を見据える人なんだとその時に思った。
現時点での自分の位置を的確に客観的に見つめた上で、自分が求める“理想の自分”なら、「もっと上手くできたはず」と常にもう1つ上を目指してる人なんだなぁ、と。

完璧主義だから「できない自分」が嫌いで。
理想主義だから「もっと上手くできた“はず”」と思う。


あの発言があった時期、「舘様は自己肯定感が低いのでは」というような意見をチラホラと見かけたけど。
とんでもない。
「自己肯定感が低い」「自分が嫌い」なことは違う。
厳密には宮舘さんの場合は「自分が嫌い」なんじゃなくて「自分に満足できない」が正しいように思うし。

自己肯定って、要は「自分はこう」だと“正しく”捉え受け止めることだと思う。
自分に自信がなかったりして「自分なんて駄目だ」と決めつけたり、他人に褒められたりしても「そんなことない、自分なんて」と頭ごなしに拒否したり、著しく自己卑下してみたり。
そういうのは、いわゆる「自己を肯定してあげることができない」=「自己肯定感が低い」というやつだと思うけど。

でも、宮舘さんは違う。
宮舘さんは自身の現状を正しく捉えられてると思う。これは私の主観による評価だから、正しくない可能性も存分にあるけど。
でも、少なくとも“アイドル”“パフォーマー”としての自己肯定感が低いだなんて思ったことは1度もない。
でなきゃあんなに“舘様”という“自己”が確立したキャラクターなんてやってないし。“舘様”然としたパフォーマンスができるはずがない。
それに宮舘さんって絶対に自己卑下はしないし。
「自分なんて駄目だ」と決めつけない。
「自分はこうだ」と現在地を正確に捉えた上で、「もっとこうしたい」「こうあるべき」という向上心に満ち溢れた自己批判しか、少なくとも私は見たことがない。
「否定」と「批判」は別のものだから。
自身を頭ごなしに拒否し否定することと、自身をより良くしようと批判的に見て改善点を模索する行為は全く違う。
「自分のことが嫌い」という言葉から受け取れる感情として想像し易いのは前者かもしれないけど。
宮舘さんを見ている限り、彼からそんな印象は生まれたりしない(少なくとも、私は)。

ただ、宮舘さんご自身が果たして自分に満足できる日が来るのかと考えるとそれは疑問だけど。
きっとこの人は、“架空の最善”をいつも思い描いているんだろうなと思うから。
自分の現状に対して、それを超えられることを期待して、「きっともっとこんな風にできた“はず”」と。無理難題にしか思えないようなレベルの理想を見てすらいるような気がする。
「絶対にできないと、根拠をもって否定することができる人なんて存在しないからできると信じる」ような、そんな崇高で完全なレベルの理想を己に掲げているんじゃないのかなって。
まぁ、ここまでくると妄想の域なんだけど。
宮舘さんだったらそれくらいのこと考えててもおかしくないからなぁ。

そして、そういう完全無欠主義の宮舘涼太を思う度、あぁやっぱり私はこの人が好きだなと実感する。
正しくは、完全無欠で在りたい、そう成りたいと思っているであろう宮舘さんの、成り方がとてつもなく大好きで。


「僕は天才ではないけれど 天才になれる努力はしたい」


いつぞやのan・anにて御本人が発したこの言葉(この文章は意訳が見出しになったものだけど)。
これが私はとにかく好きで。
というか、宮舘涼太とは何ぞやと問われたら「この言葉を、覚悟を持って言い切れる人」と言って差し支えないと思う。
このインタビューを読んだ時の、文字通りに心臓が震えた感覚は忘れようがない。
宮舘さんは徹底的に努力の人だけど。
努力で何でもかんでも「できるようにしてきた人」だけど。
その果てに在る姿が「天才」っていう究極の矛盾をこの人はごく当たり前のように目標に定めてる。
天才、つまり生まれながらにして“もっている”人に、後天的に成ろうとしているだなんて。とんでもない矛盾だと思う。
何でもできる人、に「成る」ことで。
宮舘さんはそれを現実にしようとしているんだなぁと、震え上がった。


なんて愚直な人なんだろうって思った。


念のために言っておくけど、間違ってもこの言葉を侮蔑的に捉えてほしくない。

宮舘さんって、何かをできるようにするために何度も何度も、できるまで繰り返す人で。
新しい方法を模索したり、器用に苦手なポイントを避けるでもなく、ただひたすらに、できない行為を繰り返し繰り返しチャレンジしてできるようになるまで。
そうやって、「できない」「できる」ようにしてきた人。
器用な人、器用に何でもできる人って思われてるけど。
実際、今や何でもできるような人だけど。
そこに至った方法はどこまでも不器用に1つのことを繰り返すというやり方で。

それを繰り返して、芽が出るかどうかの保証もないのに。
ただ根気よく努力を重ね、繰り返して。
そのやり方も、言っちゃアレだけど全然賢くないやり方で。
それって、常人では有り得ないくらいの真面目さと素直さがないとできないことだと思う。
そもそも愚直という言葉の正しい意味は所謂「いっそ愚かなほどに素直な人」「バカ正直」ってことだし。

できないことを繰り返すのって、本来すごくストレスになることで。
「自分は駄目なんじゃないか」って思ったり、不安になったり、投げ出してしまいたくなるもので。
「できたってそれで何になるんだろう?」っていう類いの不安だって、過ぎってもおかしくない。
それでも宮舘さんって、「(できるようになるため)失敗し続ける」よりもできないと投げ出してしまう(できないことを認める)ことを選ぶ方が何よりも嫌な人なんだろうから。
だけど実際のところ、宮舘さんは“それ”以外に方法を知らず、あるいは“それ”が本人にとって1番の近道だから。
愚直に同じ行為を繰り返して「できる」ように成った(あるいはこれから成っていく)人なんだろうと思う。

その愚直さってすごく美しいものだと思う。

その結果、「何でもできる人」「困った時の舘様」と評されるように成った宮舘さんって、なんてかっこよくて美しい人だろう。
その結果だけを見て勘違いしてる人がいるけど、完全に努力の人だよね?とインタビュアーに言われて
「そこはどう思われてもいいです」なんて言えてしまう強さまであって。
溜め息しか出ないくらいに美しくて、かっこいいと思った。


一時期、本当に「この人は自分のやってることを自分でちゃんと褒めてあげれてるのかな、自分の幸せをちゃんと自分で喜べてるのかな」「嫌なこととか辛いことを吐き出す術って持ってるんだろうか」って。デビュー前後くらいに心配になったことはあったけど。
徹底的に自分の喜びよりファンの人のことばっか見る人だから。
ちゃんと自分の幸せとして喜びを抱く瞬間がこの人にはあるんだろうか。
辛いことを言葉に出そうとしないこの人は、黒いものが溜まりきってどうにかなったりしないだろうか。
恐れ多くもそんな心配をしていた時期が、確かに私にもありました。

でもデビュー魂の最後に、何度も「不安はあった」「苦しい思いもした」「でもめげなかった」「これからも色々と壁にぶち当たってもぶち壊していきたい」ってマイナスな部分を吐露してくれたのを見てすごく安心した。
あぁ、この人辛かったことを辛かったってちゃんと言える人だわって。
「できないことがある自分」が嫌いな人だから、ネガティブなこと言うのも嫌いなんだろうなと思ってたし。事実、絶対に嘘だったろうにデビュー当時のあらゆるインタビューで「辛いと思ったことはなかった」とか平気で言ってることあったし。

だけどそういうことを口にできる人(あるいは、できるように成った人)で、同時期くらいから自分がやりたいこととか夢とか、そういうのも積極的に言葉にしてくれるようになったのが本当に嬉しかった。
「自分がそれをやりたいから」「自分がそう成りたいから」で夢を話してくれること。すごくすごく嬉しかった。
それはきっと、メンバーに変えられた部分なんだろうと思う。
メンバーの中でも特に佐久間氏や康二やめめは、こんな事したいをハッキリ何度も口にする人だから。
そうやって、実際に夢を叶えてきた人たちだから。
そんなメンバーを間近に見たからなのか、最近は口にしてくれることが増えたのが本当に嬉しい。
不言実行の美学ってのがあったように感じていた時期もあったけど(実際、本人そう思ってそうなとこあるけど)、言葉にしてくれた方がこっちだって一緒に喜べるから。
叶ってほしいと寝返るし。
叶った時に特別に喜べる。

宮舘さんが、強いとこを見せるだけじゃなくて、弱さを隠す機会が減ったこと、自分主導の言葉を話す機会が増えたこと。
どの立場だよって思いながらもめちゃくちゃ嬉しいし。
本当の意味で“強いひと”なんだなぁって感じる。

まぁ、「自分のこと嫌い」だなんて誌面に載せられるあたり、本当に心底問題視するようなことでもないんだけど(きっとこの人は本当に知られたくないことは何があっても隠そうとする人だろうからね)


きっと宮舘さんは、未だできないことがある自分のことを、いつかどこかで「好きだ」と言える日は来ないのかもしれないけれど。
でも、私は常人では気負いすぎて潰れてしまいそうなくらいに理想が高いのにそれを背負ってまっすぐ立てる貴方が好きだし。
その結果、何でもできると人に言われるまでに本当に成った上でまだ洗練された自分に成ろうと上だけを見ている貴方が大好きだし。
そんな、一種の“象徴”みたいに成ろうとしているんじゃないかと心配になりかけた傍からグループの中でむじゃきにげらげら笑う姿を惜しげも無く見せてくれる貴方のことがどうしようもなく好きです。
宮舘さんご自身が自分を好きだと表立って褒めたり肯定しない分だけこっちが全力で肯定して祭り上げたいと思う程度には、やっぱり好きです。




ちなみに、「自分のことが嫌い」という発言について。
同じ雑誌の中で別のメンバーと対談していた渡辺翔太が言った

「でも、自分で「自分のこと嫌い」って言う人ってほんとはちょっと自分のこと好きだよね(笑)」

があまりに核心を突きすぎているので「はいはい、ゆり組さんには敵いません」とだけ言っておく。

衝撃映像の合言葉はスキトキメキトキス

2021年2月7日、午後4時30分頃。

事件は起こった


まずはこれを見てから先へ進んでいただきたい。

【すの日常 The Movie】
宮舘涼太『宮舘からのご挨拶。』
https://t.co/7K0q7l5P4a





仕事を一件終えて、次の仕事先へ向かうべく車に戻ってる最中だった。
TwitterのTL追ってたらフォロワーが動揺の渦に次々と落とされている
宮舘さんの話をしていることは分かった。
すのむび見る必要があることも察した。
というか、その時点で私が得た情報が

・オタク達が動揺している
・宮舘さんに関する話
・すのむびの話
・色

だった。
そう。

である。



宮舘涼太
×

×
動揺



ここまで察した上で、震える指でサイトへ飛んだ。
ネタバレってあんまりよろしくない事象ではあるんだけど、こういう衝撃映像系は事前に注意してってお知らせがほしい。
何故ならオタクは心臓が弱々だからだ。
そして私は心臓が止まりやすいオタクの中でも輪をかけて心臓が弱いからだ。
情報を得て想像力を膨らませた段階で心臓が暴れ出して瞳孔開き気味だった自覚はある。
マスク必須のご時世でよかった。絶対に私は不審者だった。
ちゃんと車に戻って窓も閉めきっている状態を確認してから。
開いた。

サムネイルの壁を見て。


あっこれマジのやつだ


と察する。
死ぬなら一思いにと再生する。



そして数秒後に迎える




オタクの命は儚い。
たかだか自担が髪色を変えただけで思考が停止する。
もう宮舘さんが何て言ってたのか思い出せないで衝撃に魂を持っていかれたまま
「ばいばぁ〜い♪」
の音声だけは聞いた。


数分の沈黙。
ぼんやりと、人は本当に宇宙猫の顔になってしまうことがあるんだなぁって思った。
美しさで人は死ぬ
傾国の美姫という言葉があるだろ?そう、真に美しいものを見たら人は理性というものを失ってしまうんだよ。
理性を失う。
言葉も失う。
そして簡単に魂も無くしてしまう。
何故なら人は美しさの前には無力だからだ


何なんだろう、宮舘涼太
動画のサムネイルが壁で、撮影し始めてからカメラの画角に入り込むってことはつまり、宮舘さんはご自身の髪色の変化がオタク達にとって衝撃の情報だということを存じ上げていらっしゃるということだ。



ふざっっっっっっっっっっけるなよ!?!???!!!????!?!??!!?!!?!!?!???!?



失礼、我が国王に向かって不躾な言葉を発してしまいました。
いやでも、マジで、勘弁していただきたい。
知った上で覚悟して見てもあっさり死んだが????
これ何の情報も得ないで見てたら本当に息が止まって酸欠で意識を失っているところだった。
何なんですかね、宮舘さん。
どうして貴方はそんなに簡単にオタクのことを殺すんですか。
TLどこもかしこも死体しかありませんでしたが???
みーーーーーーーんな処理しきれないまま死んでましたが?????
何が起こったのか分からぬままに事切れていた人間が山ほどいたんですけども?????ねぇ
何ですか、貴方は辻斬りか何かですか???????



言いたいことは大体Twitterにぶちまけたので、もうそれをひとしきり貼っておこうと思う。
















自分でもまさかここまで荒ぶってるとは思わなかった。
フォロワーさん数人に心配された。
ごめんなさい、ありがとうございました


いやでもね、これの何が怖いって宮舘さんはまだ今んとこ髪色を変えただけなんですよ。
何なの?何が起こるのこれから
何も起こらなかったとしても宮舘さんがこのタイミングで御気分により髪の色を抜いた2021年2月7日のことはずっと記憶に留めますけども。
繰り返しになるけど、本当に宮舘さんお願いですので貴方は髪色ひとつでここまでオタク達の屍を積み上げることができるんだということだけはご理解いただきたい。
本当にありがとうございます。
そしてこれを書いている現時点(22時過ぎ)で私はまだジャニWebの方にアップされた第一波の衝撃動画をまだ見返せていません。
Weiboでの距離ならまだ何とか見ることができました。
でも流石にまだ自撮りの距離であの美しさを堪能できるほど心臓が回復していません。
明日起きて幻覚じゃなかったら2度目を見ますね。
時計の針が動いて12時を過ぎても宮舘さんの御身が私の見た幻でありませんように。



ところで


⬆これについてですが。
まずはじめに、これは事実です。
日曜日の夕方で車が少ないのをいいことに本気でアクセルを踏み込みぶっ飛ばしましたが、こんなことは本来していいわけないし、改めてやりすぎだったと自覚しています。
はい。
本当に動揺すると人は奇行に走ってしまうんだのいい例です。
そして動揺があまりに凄すぎたので、次の仕事先に向かう道中は別のアカウントのフォロワーさんに通話を繋いでもらい会話することで自我を保ち酸欠を防ぎました
岩本くんが教えてくれましたからね。

呼吸して
会話してたら嫌でも呼吸するよ


と。

1年越しに一目惚れだったことが発覚した件

Snow Man及びSixTONESの皆さん
デビュー1周年、本当におめでとうございます。
もう1年経つのか、怒涛だったな(色んな意味で)と思いつつ、今回はデビュー日なので改めて沼落ちについて考えてみようと思った。
何で、私は宮舘さんに惚れて“しまった”のかについて。



突然ですけど、私は歌が上手い人が好きです。
どこのグループでも、好きになってる人は大体においてグループ内で歌が上手いとされている人(幼少期にテレビ越しの初恋をぶちかましたリーダーは除く。この人も歌上手いけどTOKIOの楽曲を知るより前に好きになったから)(この人に関してはちょっと特別)
だから、Snow Manに触れる前、私はおおよそ渡辺翔太に落ちるもんだと思ってた。
まだちゃんとSnow Manのパフォーマンスに触れていなかった頃、グループ内の歌唱リーダーは渡辺さんだよという情報は仕入れていたから。
まぁ、「歌が上手い」と“言われてる”としたってそれが自分の好みに合致しなかったらファンになれるという程のものにはならないんだけど。


去年。
違うな、もう一昨年か。
……もう一昨年か!!?


2019年の音楽の日
それが、私が初めてちゃんと見たSnow Manのパフォーマンスだったんだけど。
※厳密に言うとその年の3月末くらいに放送されたMステでのスノストのパフォーマンスは見ていたけど“ちゃんと”見ようと思って見たのは2019年夏が初めて

そこでSnow Manを見て。
………で、まぁ。
今に至るわけなんだけどさ。
その辺のことは別のブログで書いてるので割愛するとして。
本当に、何故か渡辺さんじゃなくて宮舘さんに落ちたんよ。
確かに渡辺さんの歌声に抜群に惹かれたのに。
『ひらりと桜』のなべこじパートも、サビの最後で1人だけ別箇所へ飛ぶ歌い上げっぷりも。
明らかに渡辺翔太の歌声に完全にどっぷり惚れてしまったというのに。
今も、新しい楽曲が発表され公開される度に「いやマジ渡辺翔太の歌声が最高に良すぎる」とひとしきり沸き散らかすのに。
新しい楽曲を聞く度に、どうして自分は渡辺担じゃないんだろうって首を傾げてしまう程度には、渡辺さんのことは好きだし渡辺翔太という人の歌声も好き。
でも、担当は宮舘さん。
あの音楽の日以降、本当に不思議と宮舘さんのことを目で追ってしまう自分に気づかざるを得なかったし、歌声もお顔も絶対に渡辺さんがどストライクに好みだというのに本能が「いやお前の好みど真ん中はこっちだ」と告げてくる。
理性とこれまでの傾向が渡辺さんを推していて。
本能が宮舘さんのことをガン推ししてくる感じ。
で、実際に「Snow Manの中で誰が1番好きなんですか?」と問われたらノータイムで「宮舘さんです」って答えると思う。
そこに矛盾はない。
そこに矛盾がないからこそ、「なんで?」となる。

実際、話せば話すほど友人には「何でお前は渡辺担じゃないの」って言われる。
でも仕方ないじゃん。
だって宮舘さんのこと好きなんだもの。
渡辺さんのことはすごく好き。知れば知るほど「あー、こういう人だったんだなぁ」が分かって、敢えて適当にしている部分とシビアな一面と、思ったことを躊躇わずに言葉にする感じ。掘れば掘るほど好きになる。
何度でも言うけど、歌もお顔もタイプだし。ただでさえ好きだったけどこの1年でめちゃくちゃ歌が上手くなって、「自分がしっくりくる歌い方」を見つけたんだろうなって感じられるところとか堪らなく好き。それでまだまだ発展途上だと自称しまだ上手くなろうとしてるところなんて惚れるしかないやつ。
歌が上手い人が好きな人間として渡辺翔太を好きにならないとかいう選択肢なんて存在しない
これはお世辞で言ってるわけじゃない。
Snow Manの中で絶対的に1番歌が上手くてずっと聞いてたくなる歌声の持ち主は渡辺さんだと本気で思ってるし、デビュー前のあの時期に、あの頃の渡辺さんの歌声を知った上でデビュー期からずっとリアルタイムで追いかけられてるって本当に幸せ者だしあのタイミングでの出会いに心底感謝をした。

だからこそ、宮舘さんへの惚れ方はすごく不思議だった。
2019年の音楽の日
ただただ、“立ち姿”が目に止まってしまったことも不思議だったし。
「えっ?」って思った、あの不思議な感覚は忘れられない。
今まで、おおよそ新しくジャニーズのグループのパフォーマンスを見る時。
それまでに触れた情報とか、パフォーマンスより先に見てきたバラエティ等での様子、人となり、そういうのを見て「あーきっとこの人のことが好きだな」って思ってから、ダメ押しみたいにパフォーマンスを見て裏取りが取れたかのようにその人にハマるを繰り返してきたのに。
そんな風にならなかったのは宮舘さんだけで。
何でなのか、宮舘さんはあの日、凛々しく美しい“立ち姿”ひとつで、私の全部をあっさりと覆してきた。
「何なんだろうこの人(困惑)」から入り、掘っていくうちに「何なんだろうこの人(興味)」を経て「何なんだろうこの人(歓喜)」と動いていく自分の感覚さえもすごく不思議で。
だって何が不思議って。
雑誌読んだりふとした発言で得ていく宮舘さんの人となりは。
初耳なはずなのに何故か全部既に知っていたってくらいにしっくりくるものばっかりで。
普通は新しく好きになった人を掘っていくにつれ「なるほど、こういう考え方をする人なんだ」を増やしていくはずなのに。
不思議と宮舘さんに対しては「あー、やっぱりそういう感性を持ってる人だったんだなぁ」がほとんどで。
知りたての頃、触れる一面はほとんど全部が初めましてのものだっていうのに。
宮舘さんに関してはほとんどが「答え合わせ」をするみたいに好きを確信していく感じだった。
歌や声に関しても全く同じで。
自分は元々声のオタク(声優オタではない。“声”のオタク)で、だいたい自分の好みの傾向とかはガチガチに把握してるのに。
「あ、この人の声(質とか、発声の仕方とか)好きだな」と思うより先に耳が宮舘さんの声を探そうとしていた。
好きになればなるほど、好きな声を探す感度は上がるんだけど、不思議と宮舘さんのお声に関しては最初からそのアンテナがMAXだったように思う
で、後から「あ、確かにこういう声の出し方ができる人って好きだわ」を自分の中で裏付けていく。
何故か、宮舘さんに対する「好き」だけは、あらゆる順序が逆だったり、狂ってたりしてて
あとまぁ、声のオタクではあるけどダンスとかはからっきし分かんないのに。
宮舘さんの体幹や体の動きはドンピシャに好みだなって実感できて。
「本当に何なんだろうこの人」っていう動揺は、好きだと確信して以降もかなり長く抱えていた。
好きであることだけはブレないからこそ、余計にその不思議な惚れ方の“不思議さ”が分からなかった。




そういう“不思議”な話を、前述した友人に言うと、思ってもみなかった返事が返ってきた。
「なんかその話、恋バナ聞かされてる感じw」
はて、恋バナとは
「だって一目惚れした奴のセリフだよそれ」
はて、一目惚れとは??



だいぶ困惑した。
何せ自慢じゃないけど私は割としっかりとした恋愛音痴だ。
あとアイドルに対してガチ恋の感情を抱いたことはないし、ぶっちゃけ宮舘さんに対してもいずれどこかのタイミングで彼が結婚等を望む時がきたら腹の底から祝福できる自信だけはある。
そんな私が、恋バナ???一目惚れ?????
そもそも一目惚れって何だ。
生まれてこの方そんな現象に遭遇したことはない。
たとえば宮舘さんは靴とかお洋服も一目惚れして買っちゃうタイプらしいけど、私は人生の中でそういうのも経験がない。
一目惚れって何だ。
どういう感情だ。
ここで1度辞書を引いてみた。


「一目見ただけで恋に落ちる、あるいは夢中になる状態を指す」


あ、待って。これ一目惚れかもしれない。



前言撤回。もしかしたら一目惚れ説あるかもしれない
あーなるほど、宮舘さんに対しての感情ってワンチャン一目惚れだったのか私。
だからか。
だから理屈では絶対に渡辺さんを好きになるはずだし実際に渡辺さんのことは特別に好きなのにこんなに宮舘さんに夢中なのか。
そうか、なるほど。
こういう感覚を人は一目惚れって言うのか。
本当に一目惚れかはまだ分からんけどワンチャンその可能性はあるぞこれ。

友人に話したのが恋バナ的なソレだったかどうかは結局分からんけど、とりあえず一目惚れかもしれないということに関しては納得した。
それがだいたい10月下旬頃の出来事。
そしてその1ヶ月後、私は改めてこれの裏付けをするとになってしまう。


2020年11月25日。
ベストアーティストにてSnow ManがGrandeurを初披露した時のこと。
前年のベスアにてデビュー曲のD.D.を初披露したのに続き、“2年目”の口火を切るGrandeurもこの舞台で初披露させてもらえるなんて本当に恵まれてるなぁ、我々も衝撃に備えなきゃな!!!
って思ってた。
その。
Grandeurの落ちサビ。
1番のサビと歌詞が違う!D.D.とKISSIN' MY LIPSの時と変えてきてる!!!表題曲でやるの初めてじゃない!?うわ、これほんとに“2年目”じゃん!!!!
って興奮してた時に。
突然陣形の中央に躍り出た宮舘さんが。
何て言っていいか分かんないくらいにかっこよかった。
「あっ」って思った。
どういう言葉を選ぶのが適切なのかは未だに分かってないけど、結構マジでその瞬間に初見の記憶がほぼ飛んだ。
目と意識が“そこ”に釘付けになって、“ソレ”を見る前と見た後で「ナニカ」が変わってしまった気がする、そんな感覚。
この感覚には覚えがあった。
1年前、初めて見た時に宮舘さんの“立ち姿”を見て「えっ?なんだこの人」と視線と意識を持っていかれたのとほぼ同じ感覚だった。

Grandeurのパフォーマンスがあまりに良すぎて、ものすごい勢いでリピートしながら「果たしてこのパフォーマンスのどこをどう私はかっこいいと思ったんだろう」を探しまくった。
ひとしきり堪能した後で、改めて考えてみて。
「やっぱり一目惚れだったんだな」とようやく自覚した。
惚れ直したんじゃなくて、一目惚れした
1年前も、今回も。




ただまぁ1年前の時はパフォーマンス見るまでマジで宮舘さんのことは意識してない段階から一気に「はい、貴方です」の段階まで落ちたのに対して、今回は「あ、私まだこんなに宮舘さんのこと好きになる余地あったのか」と思ったの違いくらいはあるかな。

そして、人生で初めて一目惚れした衝撃と共に「どうして宮舘さんの人となりや感性を知る度に“やっぱり”という「答え合わせ」の感情が沸いたんだろう」という不思議も後に自分の中でひとつの答えを得た。

先日放送されたCDTVライブ!ライブ!にて。
デビュー曲のD.D.と最新曲Grandeurをいずれもフルサイズで披露した、このパフォーマンスで。




自分の感覚をどうにか言語化したくて書いたツイートを後から読み返してみて、「あぁなるほど、だから私は“一目惚れ”したんだな」と思った。
宮舘さんはあの時“立ち姿”ひとつで、“宮舘涼太”をきっと体現していたんだろうなと。
ビックリするほどブレない体幹、仕上がりきった見た目、キリッとした目と表情、立ち振る舞い、そういうもので常にこの人は宮舘涼太とはなんぞや”という答えを常にご自身のパフォーマンスで発信しているのではないかと。
だから一目見て、初見なのにこの人の核に触れたような気にさせられるし。常に“舘様”を見ている人、“宮舘涼太”を見ている人に向かって発せられるパフォーマンスは、いついかなる時も宮舘さんの提示してくる“正解の宮舘涼太なんだろう。
そしてこの人は、パフォーマンス中も普段の立ち振る舞いも宮舘涼太としての魅せ方”がブレない人だから。
どの媒体に触れても不思議な程に「納得」がいってしまう。
そりゃ一目惚れだってしちゃうよ。
じっくりその人を知って、味見して吟味して慎重に自分が好きかどうか確かめるタイプの私みたいな人間だって、惚れちゃうって。
目に止まってしまったら、その瞬間に多すぎる情報が垂れ流しレベルで大量に注がれてくるんだもの。
ズルいって。
あんな、“立ち姿”1つにそんな情報量を持ってる人に、真性のオタクである私が興味を持たないわけがないじゃないかよ
どうしようもないスピードで流れてくる「この人は何なんだ」という疑問と、それに対する漠然とした宮舘涼太という答えを同時に提示されて。知れば知るほどその漠然としていたものが可視化されていく感覚、他の人を「見て」「知って」「確かめる」より段階が1つ早い「見て(=知って)」「確かめる」という未知のフィードバックの感覚に、私みたいなオタクが病みつきにならないはずがない

1年前は、時期が違ったら別の人を好きになってたかもって言ってたけど。
結局、知ってしまった以上私はこの人の魅力に抗えなかったんじゃないかと今は思う。
一目惚れしたのは偶然だったのかもしれないけれど。
でも、少なくとも私は宮舘さんだったから一目惚れした
「どうして、私はこの人だったんだろう」って。好きになってから何度も感じたことではあったけど。
1年かかって、ようやく納得のいく答えに辿り着くことができた。




10年前の私は、今の私がジャニオタになってることなんて絶対に信じないし、3年前の私も自分が同世代のアイドルに入れ込んでることをきっと信じない。1年前の私でさえ、この衝動が一目惚れだったなんて夢にも思ってないだろう。

1年前、私はこの感情が落ち着かないうちは好きでいようと思ってるらしいけど。
いや、多分どこかのタイミングでちょっと落ち着くことはあっても消えてなくなることはもう無いぞw
まぁ別にいいか。
1年前でさえ、15年後もファンでいる前提で文章書いてるしな

愛はきっと貴方の形に似ている

かなり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

年明けてからちょっとバタバタしててブログ更新をおサボりしてる間に宮舘さんがご帰還なされましたね。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜よかった!!!!!!!!!
宮舘さんがお帰りになるまではできるだけいっぱい更新しようと思ってたけど、まぁお戻りになられて以降もマイペースに書きたいことは書いていこうと思います。
書いておきたいことはいっぱいありますからね。



"Smile Up ! Project 〜フレンチトースト作ってみた〜 宮舘涼太" を YouTube で見る - https://youtu.be/QwHQQBkypcU



この動画をいつ紹介しようかずっと考えていたんですけど、色んな意味で今日だな、とww

今回はほとんど茶化すことなく紹介します。
いや別に今までも茶化す気持ちはなかったんですけどだってほら宮舘さんって愛らしい方だからついつry


この動画は、Smile Up Projectの一環でアップされた動画。
このSmile Up Projectの動画は、ジャニーズ事務所に所属するタレントが自発的に動画を撮影したもの。
三宅健氏によると予め動画投稿の枠数が定められていて、実質ほぼ早い者勝ちに近い感じだったらしい。
グループで動画をアップしたり、個人でアップしたり、グループの垣根を越えての投稿があったり。
動画の内容も様々で、こういうところでタレントの個性とかが垣間見えます。

そんな中で、宮舘さんがアップされたのはこの動画だった。


これがアップされた時のことはよく覚えてる。
日々色んなタレントが動画をアップしてて、推してるグループじゃなくても気になる動画があればそれを見たりして、日々活力をもらっていたんだけど。
仕事終わり、ぐったりして車に戻りスマホを開いたら宮舘さんが動画のサムネイルにいた。
シンプルにびっくりした。
こんな言い方は失礼かもしれないけれど。
こういう「動画投稿」というものにあまり積極的な印象がなかったから。

動画を開いて、なんか分からないけど涙が込み上げてきたのは忘れない。
まっすぐに届けられる声が美しくて。
言葉があったかくて。
お顔が綺麗で。
体の力が抜けて心がホッとしたのをよく覚えてる。
たまたま自分が仕事終わりだっただけなんだけど、宮舘さんのメッセージで救われた気がしたんだ。
冒頭の言葉を文字に起こして指先で撫でたいくらいに優しくて。
耳に心地良い声も、きっと触れたら気持ちがいいんだろうなと思えるような温度と柔らかな質感があって。
言葉を言い終えてから頭を下げる、そんな細かなところが愛しくて。
たった数十秒の時点でこの人のことが大好きで愛しくて仕方なくなった。
優しい声、口調、そこにどこか力強さというか活力のようなものがしっかりと根ざしていて。
「スイーツを作っていきたいと思います!」ってほんのちょっとだけ前のめりになる感じ。言い終わった後に唇の端っこがキュッと小さく上がっているその形。
「やっていきましょう!」の言い方、唇の形、指の揃い方、全部、ぜんぶ好きだなって思った。


フレンチトーストを作っていらっしゃる映像の部分については言いたいことありすぎなので箇条書きで以下にまとめておく。

スマホのカメラの向き(動画を撮影・編集するにあたってお宅の向井康二さんとかにアドバイスいただかなかったのでしょうか国王)
スマホの画面1つに収める材料の置き方が流石でございます国王
・カメラを横へのスライドさせてからの「バターですキリッ」については小ボケ的なものと見なしてもよろしいでしょうか国王
※初見時の私:え、フライパンの上にハート型に搾ったバターが乗ってる……宮舘さんのことだから「愛情」とかそういう感じのこと言うの?そもそもバターがハート型って何?貴方のキャラ知らない人が見たらどういう感情をいだ「バターです」(シュールな小ボケなのか……?)
※念のため言っておきますが宮舘さんは至極マジメです

・固定したカメラを覗き込むためにちょっとしゃがむとこ…そういうとこ………
・当たり前のように片手で卵を割る
・急な早送り
・大さじ2杯の砂糖をスプーンに全部乗せして1回で入れるという動画の尺都合の時短(?)
・泡立て器を持つ人差し指の角度が綺麗
・下から煽られ角度の宮舘さん
たまにチラッとカメラを見るのOUTです、オタクは死んでしまいます
・最初だけ卵や砂糖の塊を潰すために縦に混ぜてるけど途中からなるべく気泡が立たないようにしてるのか混ぜ方が大人しくなるところ、そういうとこです
・食パンが乗るトレーを支える左手の形、SUKI
30分寝かせたと思ったら既にフライパンの上にいる食パン
突如として挟まれる宮舘ポイント
・滑舌が甘くて「みゃらてぽいんと」に聞こえるのがツボ
・食パンにスマホで撮ってる宮舘さんの影が映ってる、その影さえ愛しい
・両面をひっくり返して焼き色を見た時に突然聞こえてくる「ヴィィ♪」という鳴き声
初見、この鳴き声で心臓が止まるかと思った。愛しさで
・この辺りで若干編集をどうするか悩んだ後が見られる(愛しい)
・火を止めた後のフレンチトーストがほんの一瞬だけサブリミナルみたいに映り込むの、何か言おうとしてやめたのかなとか考えるの楽しい
何故か挟まれる、無言でフレンチトーストを対角線に切る場面(実にシュール)
・しゃがみ込み宮舘さん(2分ぶり2度目)
イチゴでハートを作るという発想
・指先…美し………
・ものすっごい細かいことなんだけど、包丁を置く時ごく当たり前に刃が自分の方へ向かないように置いてる、そういうとこ
・最後イチゴを半分に切る時の左手の形。具体的には人差し指と小指の角度
「LOVE ハートになります」
イチゴでバラを作るという発想
「イチゴを半分に切りまぁす」言い方
おそらく1番見せるべきはずのイチゴを縦に細く切っていくところが宮舘さんの美しい手の甲で隠れ、テロップで隠れてしまうという珍事
・4:04「ね?簡単でしょう?」
・思っていたより大分クオリティの高いバラに仕上がっていた件
・チョコペンでの文字は聞いてない
・完成されたフレンチトーストの向きに対して字幕の向き
「何?反論は受け付けてないから」(空耳)
・字幕の出し方……愛した……………


どうしてもツッコミどころを探してしまうのはもう関西人の悲しい性だということで見逃してください。
でもね、真面目な話。
めちゃくちゃ素敵な動画じゃないですか。
サラッと言ってるしサラッと作ってるけど、実際のとこ細やかな気遣いと愛に溢れてる。
当時、小麦粉やホットケーキミックスが無くなっていたから、家にある食材を使いましたって言ってるけど、それだけじゃない。
宮舘さんは後にWeiboの方でもクリームリゾットを作っていたけれど、そっちでも200ccの牛乳を使っている。
この当時、何が不足していて何を消費してほしいと訴えられているのか、ということを調べて把握して、なおかつ手軽に作ることができるメニューを選んで、実践してくれた。
後にラジオでその裏付けはチラッと話してくれていた
使ってるフライパン、ところどころ塗装が剥げてて、使い込んだ私物なんだろうなってのが分かる。
これについては確定ではないからサラッと流すけど多分2年前にメンバーから贈られた誕生日プレゼントじゃないかなと思う。
こちらに向けてくれる言葉だって、どれをとってもすごく優しくて、明るさに溢れていて。
ともすれば綺麗事だと笑われてしまうような言葉でも何の衒い(てらい)もなく言ってくれる。
声も表情もまっすぐで照れがなくて。きっとこの人は嘘をついているわけじゃないんだろうと。それを、信じてみてもいいかもしれないと思わせるような、そんな声の響きを持っている人。
この人のことを信じて、きっと不幸になることはないなって。
1人のファンとして、この動画を見た時に思った。


「未来は絶対に明るいです」
それを、何の疑いもなく信じてしまえるような、そんな素敵な人が宮舘さんで。
自分が信じる未来を、一緒に作ろうとこちらへ手を差し伸べてくれる人。
この人がそれを信じるのなら、それに乗ってみようかと手を掴みたくなる人。
惜しむことなく愛情を渡してくれて、渡されただけ愛情を返したいなと思わせてくれる人。
宮舘さんは偽りなく愛の人なんだけど。
この動画の宮舘さんは、それこそ愛情そのものみたいな形をしてる。
ちょっと過大評価だけど、私はそんな風に思った。


宮舘さんが何事もなく戻ってきてくれて本当によかった。
本当に何事もなかったかって言われると、まぁ何事もなかったわけではないけれど。
でも、とにかく宮舘さんがお元気でいらっしゃるならそれでいいんです。
貴方がこれまでたくさんの人に愛をくださったからこそ、こういう時にたくさんの愛を返されたんじゃないのかなって思ってます。
貴方が、愛情そのものであるからこそ。
今この瞬間も、貴方が愛情をめいっぱいに受け取ってくれていますように。
“相思相愛”で、と。
それを感じてくれていますように。

時に宮舘涼太がするようにラウールを愛したい

年の瀬にこんなクソ重い話を書くもんじゃないとは思うんだけど、だいぶ前に書きかけで放置しちゃった文章が出てきて、このタイミングで書ききっておかないと一生表に出さないなと思ったので。
※割とクソ重な内容なので読むの気をつけて


長いので目次をつけておきます。よろしければご活用ください

ラウールの中にアリス・L・マルヴィンを見た


少し前の話になるけれど。

Snow Manのデビューコンサート。2D.2D.

延期、中止を経ての無観客生配信で決行された、彼らの一生に一度のデビューコンサート。
本当は全ステしたかったけど実はこの4日間クソみそに忙しくて9公演中4公演しか見れなかった(しかも合間に仕事の電話とかかかってきたり予定変更とかもあったのでほぼ全公演がぶつ切りという体たらく)。
全部ちゃんと見られないならお金の無駄じゃない?と言われるかもしれないけど、逆にあれだけ忙しくてメンタルをゴリゴリに削られてた中で、ほんの幾ばくかでも癒しと推し事がなければ絶対に生きてられなかった。
一部であっても、「それを見る権利」に金を払ってるんだから全くもって後悔はなかったし、買ってよかった、全部じゃないけど見られてよかったと思える内容だった。


それでまぁ、オーラスでの話。
1番最後、メンバーが順番に挨拶をしていく場面で。
ラウちゃんのね?
彼の言葉が。すごく刺さったんですよ。

「俺は、絶対にスターになるんで」

「その難しい道を、自分を曲げてまで避けるつもりはないんで」

「僕は不器用なとこがあって、たまにボロが出る。僕も人間だし、何かを言われて悲しくなる」

「でも、僕はいいんだけど、僕を好きでいてくれる人が悲しい気持ちになるのは、ちょっと、ていうか、だいぶ、ごめん」

「でも、僕らを応援する人、Snow Manを応援する人が大多数になるんで。みんなが、多数派になるんで」


こんなニュアンスだったと思う。
別公演で言ってた言葉たちもすごく印象に残ってるけど。
でも、私はこの日のラウちゃんにはすごくグッときた。
なんだろう、この子は本当に心がしっかりした子というか、悲しくなるくらいに色々が見えている子なんだろうなと思った。



ラウちゃんは、自分が今感じていることを全然偽ることなく伝えてくれる。
多感なこの時期に、時に吹きさらしみたいな空間に置かれて暴風雨を丸腰で浴びるような、そんな瞬間は何度もあったと思う。それは、今も。
その度にラウちゃんは「僕は頑張ってる」も「頑張る」も「嬉しい」も「しんどい」も、伝えようとしてくれる人で。
悪い意味で日本人的な考えが根底にあり過ぎると、「自分から頑張ってるなんて口にすべきじゃない」とか、「謙遜しろよ」とか、言われたりするのかもしれないけど。そういうことを口にできる強さってものを、17歳にして彼は持っている。
それは、覚悟でありいい意味での苦しみなんだと、私は思う。

実際にラウちゃんがそう思っているか否かは、私は彼じゃないから分かんないけど。
でも、私は強い覚悟を持って色んな、ともすれば聞く方すら身構えてしまうような言葉を届けてくれるラウちゃんを見る度に、この子はきっと、望んでこの苦しみを選んでいるんだろうなと思う。
そういう時、私が好きなとある漫画に出てきた例え話を思い出す。




――絵を生業とする者がいるとするだろ?
――食えてはいる…けれど、いつも いつも どうしても
――納得できるモノにならず苦悩する
――その あまりの 苦しみように
――善意から「苦しむだけなのだからそんなことはやめなさい」と止める者がいるかもしれない
――あるいは「自分が好きでやっていることなのだから文句を言うな」と諌める者がいるかもしれない


―――違うのだ
―――どちらも違う…
―――“コレ”はそういうものじゃないんだ
―――この“苦しみ”は
―――武器であり 感覚器なんだ


――苦しいのが良いわけない
――でも 苦しみを喜びに近づける戦いに勝つためには
――苦しみという器官で 打破すべき不可視の敵影を捉える必要があるのだ


――手放せぬと言ったその感覚に押し負けて…
――身勝手にも弱音を吐くこともあるだろう
――でも…でもまだ 戦ってる最中なんだ


―――生ある限り 苦しみも またあるのなら
―――その“苦しみの種類”を選べることこそが
―――納得できる戦いであり
―――転じて生き甲斐と言うのではないか

(パンプキン・シザーズ 22巻より一部抜粋)


私がラウちゃんを本物のスターだと思ってる話

この子はきっと本当に人を惹きつけるスターになるんだろうなと確信するわけ。
ダンスの上手さっていうのは勿論なんだけど、体の動かし方とか、立ち振る舞いとか、理屈じゃないところがザワザワする。
理屈とは違うところで否応なしに惹き付けられ、“ラウールという存在”に目と心を奪われる感覚がある。
自担ではないけれど、そういう風に感じて、言語化するのも野暮だって思っちゃうくらいに魅せられる度に、“カリスマ”ってこういうことで、“スター”ってこういう人を指すんだろうなって、思う。



で、いつの世もスターってものは目立つ。人の目を引いてしまうから。「素敵」って思うとか以前に、勝手に魅せられてしまうから。
頭で処理するよりも先に本能が惹かれてしまって、目に止まるから。
だからこその“やっかみ”とか、色々と、そういうのがあるんだろうけど。
“スター”ラウールが歩む道のりで、きっと今後も彼はそういうものに晒される。
だって彼が「スターになる」と言ったから。
あれだけ色んなものが見えていて、頭の回転が早くて聡明な子が、その道のりや展望が見えてないはずがない。
何が待ち受けてるかって、きっと全部分かってて言ってる。
選んだスターへの道に転がってる“苦しみ”も分かってて、そうなるって言ってるんだと思う。
時に、彼を大切に思う人がその苦しみを味わいながら進むことを望まない瞬間があるだろうことも
だったら、私は彼が選んだその“苦しみ”ごと、彼が選び取った人生を尊重したいし受け入れたい。
彼の人生をまるっと全部肯定したい。


もちろん、本音を言えばそんな“苦しみ”を選ばないでほしい。
こんなに可愛くて、愛らしくて、あったかい毛布越しに優しく抱きしめたくなるようなキラキラした存在が、ほんの一瞬であってもその輝きに翳りが見えるような瞬間なんてあってほしくない。
でも、ラウちゃんってきっと特別な子で。
あのキラキラした感じって、多分どうやったって隠せないと思うわけ。
ともすればめちゃくちゃな過大評価だけど。
ラウちゃんって、スターになるしかない子にすら、私には見えてる。


ラウールを全身全霊で大切にしている人


だいたいこのくらいまで書いた辺りで「いや、これ一介のファンが、しかもラウちゃんじゃなくて他のメンバーのファンを公言してる人間が言えることではねぇな」と思って書くのをやめた。
11月頭くらいのことだった。

そしたら、その月のMYOJOに掲載された宮舘さんの1万字インタビューにて。
宮舘さんがメンバーに贈った言葉の中で。
ラウちゃんに捧げた言葉がとてもとても好きだったから。

※これとほぼ同じ内容はツイートしたんだけど、誤字がひどいわ文章が成立してない部分があるわで見るに耐えなかったので書き直して以下に続ける
※それぞれ別日に書いてるからこれまで書いてきた内容と重複する部分があるのは見逃してほしい


宮舘さんが普段からラウちゃんのことをすごく大事に見守ってるんだろうなってのは前々から分かってるつもりでいたけど、ラウちゃんのことを話す時には他の誰に向けるより的確な言葉を探そうとしている宮舘さんってつくづくラウちゃんのこと大切なんだなと実感した。
あの若さで自分たちの中へ飛び込んできて、センターに立たなきゃいけないことの恐怖とか、でもそれを彼がやる使命への賞賛とか。そういうのがすごく強い。
何より、あのインタビューがいつあったものなのかは分からないけど(本誌の撮影でのラウちゃんの髪色の変化を見るに多分コンサート後の撮影かな)、ラウちゃんがオーラスで言った言葉をそのまま投げかける宮舘さんがすごく好きだったんだ。
もしその月の撮影をしたのと同じ時に、一緒にインタビューもやったんだとしたら、アレはラウちゃんの決意をそのまま肯定してるってことで。

壁を避ける方法を選ばないっていうラウちゃんの決意はすごくしんどい時だってあると思うし、大人になるにつれ賢さを覚え、ずる賢くなればなるほど避けてしまう(=楽な)道を無意識に選びたくなるものだと思う。あるいは見ている側がその困難から遠ざけたいと思ってしまうものだとも思う(そんなしんどい思いしないでって)。
でも本人の視点に立ったら、それは決意を否定されてることになりかねなくて。だから、私はメンバーの誰かに、ラウちゃんの壮大で険しい決意を肯定してあげてほしいなって思ってたから。
その険しさを分かった上で、放ったらかしにして任せちゃうんじゃなくて、ちゃんと、その道のりごと肯定してあげてほしいって。

大事にしてあげたいからこそファンはその険しさから遠ざかっていてほしいって思うものだから。
大事だからこそ、いっぱいお兄ちゃん達に甘えていてほしいと思うし、大事だからこそ辛い思いをしないでって思うものだから。
メンバーも当たり前にラウちゃんが大事で、守ろうとしてるのは痛いほどに分かるし、それが目に見えて分かるほどラウちゃんは実際に大切にされてると思う。
だからこそ一方で、ラウちゃんの決意を、険しさごと、その険しさを敢えて貫こうとするラウちゃんごと良いも悪いも肯定してあげる人が、1番近い中に1人でもいてあげてほしいなと思ってた。
ラウちゃんが甘やかされる優しさも見守られる優しさも、時に奮い立たせられるような優しさも、時と場合によってどれでも選べるように。

お兄ちゃん達はきっとちゃんとラウちゃんの決意を分かってるんだろうとは思ってるけど、「壁を器用に避けるやり方を覚えないで」「変に何かに染まらないで」って、これも他者が言葉にするのってすごく覚悟がいることだと思う。
だって、ともすれば「傷つくって分かっててもそれを選べ」と言われてるように感じる瞬間だってあると思う。
「何度でもぶつかればいい」ラウちゃんの決意を肯定する一方で、宮舘さんは決して「金輪際、傷つかないで」と言ってるわけじゃない。ラウちゃんが傷つくかもしれない瞬間も、彼がそれを選んだならその傷ごと肯定するつもりなんじゃないかなって思う。
何かあっても、自分たちで守ってあげようとしてるから。
「矢面には自分たちが立つから、何にも染まらないで」って、多分そういうことなんだと思う。


時に宮舘涼太がするようにラウールを愛したい


私は、宮舘さんのこれを愛だと思う。
いつもじっと見守っている宮舘さんは、ラウちゃんが無垢に楽しむことも誰かに甘えることも否定しないし、重い覚悟を背負うことも止めはしない。
愛をもって、Snow Manの中にいるラウールという男の子を全力で大切にしようとしているんだと思う。
強い覚悟をもった愛情だと、私は思う。



もちろん、こんな覚悟をするのは全員じゃなくていい。
メンバーも、ファンも、全員が全員それを感じてなくてもいい。
というかみんながそれを感じたらそれはそれで駄目だと思う
ラウちゃんが選べる選択肢の1つであれば、それで。
前述したけれど、ラウちゃんが能動的に甘えにいける人がいて、望む前に甘やかしてくれる人がいて、受け入れるのも冗談で拒否するのもラウちゃんの自由で、ただ距離を保って見守ってくれる人もいて。その中に、彼が傷つくかもしれない瞬間ごと苦しみを選ぶことを肯定する人がいて。
ラウちゃんがその時々でどの優しさを選ぶかは自由で
その選択肢は多ければ多いほどいいと思う


前に別の記事で宮舘さんはラウちゃんが選べる優しさの選択肢を増やしてあげてるのかなって感じる、と書いたけど。
私はこれも、その1つだと思う。
宮舘さんはグループのセンターではないけれど、メンバーカラーが赤の人として、きっと“センター”というポジションに対する一家言をもっているんだろうなと感じるから。
できることなら、私もラウちゃんが選ぶものを何でも受け止めたいなと思ってる。
私の大好きな人が彼を大切にするように。
時にスターに魅せられるように。
時に大切に思う故に甘やかしもしたい。



甘え、甘やかされ、色んな方向から大事にされながら。
ラウールという特別に大切な存在が、2021年も輝いてくれますように

SASUKE それはドキュメンタリースポーツサバイバル

できるだけ毎日更新したいなー、と思ってきていた中での昨日ですが。
寝落ちしました(どーん)


SASUKE見て、岩本くんで泣いて、完全制覇で湧いて、もっかい岩本くん見て泣いてたらそのままぐっすりでした。
泣き疲れて寝るって3歳児か何かなんですかね、私は。


だから、というわけではないんですけど、SASUKEの話を書こうと思います。
元々岩本くんが1stステージをクリアしたら絶対にお祝い記事書くって決めてたんで。




SASUKEは子どもの頃からウキウキと見ていたもので、だから山田さんや長野さんを見ると無条件で「うおーーーっ!!!!!」となる。


SASUKEとかって、毎年見てる人間だから楽しめるプロたちの関係性とか人の成長があって。
もちろん初めて見た人だって「ウワッ何これすげーことやってる!!!」ってひと目で分かる。
何をきっかけにしてでも、「見よう」と思った時に惹き付けられたら離れられない熱さってのもある。
スポ根とヒューマンドラマを上手いこと掛け合わせたドキュメンタリースポーツサバイバルみたいな番組になってる。
でも、そういう番組になったのは挑戦者たちが本気だからで。
きっとそこに懸ける人たちがあまりにも真剣だから、“人が”魅せる番組になったし。“人を”見る番組にもなったんだろうと思う。
私も、毎年真剣に見てきたわけではないけれど、それでも「あ、この人今年もいるんだ」「今年は1st突破したな」「今年は駄目だったな」「来年はどうかな」ってつい思ってしまう。
真剣な人の熱量をいっぱいに浴びると、人はそれに抗えないっていうのを「テレビ番組として」分からせてくれるのがSASUKEだなぁって思うし。

何せ私は根っこが完全に体育会系なもんでこういうのを見ると熱くなります
全然その人の人生と自分は関係ないのに懸命な姿を見ると泣いちゃいます。
涙腺が人の5倍くらい緩いので。



さて。今年の岩本くん。
年々貫禄を増していく岩本くん、今年のゼッケンは88番。
数字の8って雪だるま=SnowManみたいだね、それが2つ並んでるんだから、今年は縁起いいぞ〜!!
と思っていたのが11月中頃のこと。



そして、現在Jr.で個人的にイチオシしているグループ7MEN侍の、げりんさんこと菅田琳寧(すげたりんね)が参戦すると知ったのもこの時だった。
※げりんさんとは本人が広めたい呼称のことです



結果論なんだけど、げりんさんや舜映くんの参戦って意外と岩本くんにとってでかかったんじゃないのかなって思う。
岩本くんって年上キラーの甘えんぼだけど、守るものがあれば強くなる人でもある。
後輩が参戦している、彼らが必死に頑張ってるという状況は、岩本くんにとってすごく奮い立つものだったんだろうなぁと。
しかもげりんさんが初参戦で1st突破したから余計に。
げりんさんに並走して声をかけている岩本くん、すごくかっこよかった。
そして「爪先を刺せ」「落ち着け」「呼吸して」と声をかけられる度に毎回ちゃんと「刺します!」「落ち着きます!!」とお返事をしているげりんさんはとっても可愛かった。



ゼッケン番号の順番ってだけだけど、琳寧ちゃんが先に突破したのは岩本くんにとってかなりの刺激だったと思う。
岩本くんって逆境に強い人だから。
あ、これは俺ほんとに不甲斐ないとこ見せらんねぇわ
って思ってそうだなぁと。
リアルタイムで見ながら思った。
そしてすごく細かいところだけど、カメラマンの人がめちゃくちゃ気さくな話し方だったので「あー“この現場での関係性”ができてんだなぁ、岩本くんも6年この番組に携わってんだもんなぁ」と何だかジーンときた。


そして本人の挑戦
煽りVTRの編集があまりにも愛に溢れすぎていたよね……。
だってよ?来月発売のGrandeurの紹介もしてよ??
しかも2番サビ前の岩本くんパートから流してよ????
落ちサビに入るタイミングも完璧なんよ。
何ならこのためにこの曲用意されたんかレベルでハマってるのよ。
いくらなんでもTBSさん優しすぎん??



挑戦自体は、何ていうか、本当に圧巻だった。
実況でも貫禄があるって言われてたけど、本当にそうだった。
去年の映像を改めて見返してもそうなんだけど、ちょっとやそっとじゃ落ちるビジョンが浮かばないレベルの安定感があったし(去年も着水はしたけど落ちてはないからね)。
それでも、ずっと押せなかったボタン押した瞬間の岩本くんはすごくかっこよかった。
1度は登れたのにタイムアップなんて経験もあったと思う(間違ってたらごめん。その時はまだファンじゃなかったから記憶は曖昧です)。
今回、何の不安もなく反り立つ壁を登って壁を越えたのはものすごくかっこよかった。



自分の挑戦で楽しみ、人の敗退に涙し、抱きしめて健闘をたたえる姿。
今までずっと挑戦できなかった2ndステージで、挑戦して敗退したことを楽しめた心意気。
自分の悔しさよりも、達成感と人との縁に泣き崩れる表情。
そして3rdステージ以降ずっと真剣な眼差しで他の挑戦者を見ていたのはきっと自分の糧にするためだと思う。
自分の中に落とし込んで、どう超えるべきなのか見定めて。
少なくとも私にはそんなふうに見えていた。
岩本くんの広い背中、本当にかっこよかったし、やっぱりデビュー年に自身の初を飾ることができたのは良かったねって思う。
もっとかっこいい背中が見られる日が楽しみ!!



ちなみに、Paraviで配信されてるやつは別アングルでの映像や完全版でのコメントおさえてくれえたりするので是非ともそっちもチェックしてほしい

Paraviで「Vol.2 1stステージ 61番~100番」を視聴中
https://www.paravi.jp/title/65736


Paraviで「Vol.3 2ndステージ・3rdステージ・FINALステージ」を視聴中
https://www.paravi.jp/title/65737



最後に。
7MENちゃんも推してる身としては、今回は番組からの挑戦者だったからアレだったけど。
来年も琳寧ちゃんが挑戦するなら「7MEN侍」の名前もクレジットしてあげてほしいな!!!
よろしくTBSさん側さん!!!!!