主にひとりごと

タイトル通り、ときぶいすの担によるひとりごとです。感じたことを語ったり、好きなことを話したり

「“実写版”おそ松さん」が本当に実写化したおそ松さんだった

2022年3月25日。
自担こと宮舘さんの29歳のお誕生日。
そして。
映画「おそ松さん」の公開日。

https://osomatsusan-movie.jp/



楽しみと同時にすげー怖かった。

何せアニメの実写化。
ただでさえ有名なアニメ作品の実写化なんて誰しもが抵抗あるのに。
それで本当に無き物となっている実写作品なんて山ほどあるのに

スノのオタクで松は作品情報こそある程度は知ってるけど決して詳しくない私でさえ、発表された時は「何してくれてんねん」って割と本気で萎えた。



個人的な見解だけど、アニオタが実写を嫌う理由はたった1つ。
色々と細かく書けば山ほど出てくるとは思うけど、結局のところこれに集約されると思う。
【アニメ作品を実写化する意義が見い出せないから】
例えば私がアニメの実写化と聞いて反射的に顔を顰めてしまう理由の大きいところは“再現度”が低いから
この“再現度”というのをどこに焦点置いて喋るかというのも意見の分かれるところだけど。
キャストのビジュアルイメージや脚本の展開だけじゃなくて、スピード感とか、やり取りとか、展開とかオチとか場面転換とか。
そういう、アニメ特有の面白さがある作品って私はあると思ってて。

実写とアニメのどっちが優れてるとかそういう話じゃなくて、単に「アニメーションだから面白いもの」というものは絶対に存在する。
そして個人的におそ松さんってそういうタイプだと思ってたし。

たとえビジュアルイメージが似通ってても。
脚本がイメージ通りでも。
アニメだったら声優さんが成立させている会話の間(ま)とか、アニメーションだから可能な動きだとか。
そういうのが実写化された時に刻み込まれたイメージと噛み合わないと瞬間的に萎える。
齟齬をきたすと別の粗を探してしまったり、違和感を引きずってしまったり。


そもそもアニメーションでちゃんと成立してて面白いものをどうして人力で再生しようとするんだ?


という根本的なところへ立ち返ってしまったりして。
実写でやろうとする意義ってどこにあるんだよって。
最終的にそこへ辿り着く。
だって原作アニメのファンって別に実写化されたとて得しないし。
アニメーションと声優さんのお声で認知してる“キャラクター”を“ヒト”のビジュアルと“その人の声”で再現されたものと同一視することを求められる。
それって何の意味があんのって思うのは当たり前だと思う。


しかもその実写化を担当するのがSnow Man
ジャニーズでちょっと前にデビューした若手アイドル。
その若手アイドルを売り出すためにアニメ作品を使った、という判断を、おそ松さんを好きなファンの人たちが瞬時に下したとしても私は言い返せないと思う。
何なら私だって脳裏を過ぎった。




ただ、言うても私はスノのオタクなので。
プロモーションは楽しく享受したし、公開日が迫るにつれ楽しみは増していく。
同時に不安を拭えなくて、ずーーーっと喉に小骨が引っかかってるような状態だった。
多分、大半の人がそうだったと思う。
楽しみ一色で公開日を迎えた人の方が圧倒的に少ないと思う。


ここでもう1つ、オタクがアニメの実写化を嫌う大きな理由を挙げる。

『自分が好きなそのコンテンツを大事にしてもらえるか信用できないから』

私は「原作リスペクト」みたいなワードがあんまり好きじゃないから上記のように言い換えたけど、まぁ要はこれです。
自分が原作アニメを見て感じた物事とか、好きになった経緯とか、好きな感情とか、そういうのを。
果たしてちゃんと大切にしてもらえるのかどうかってオタク的にすごく大事じゃないですか。

安易に「原作リスペクトしてます!大事にしてます!」って言われたとしても、ぶっちゃけ信用ならんよね。

だってパンピが思う「リスペクト」の認識と、オタクが求める「リスペクト」の認識って濃度が全然違うじゃないですか。
それがオタクのワガママであったとしても。
自分が大事に思ってるコンテンツを、自分が思ってるように大事にしてほしいじゃないですか。

“尊敬の念”とか“愛情”とか。目に見えなくて、「あります」と主張したらそこに認識のズレがあったとしても「ある“ことにしなきゃならない”」ようなものを。
「本当にそう思ってる?」ってうがった目で見てしまうのは当然の話。


そしてその認識のズレというのは、この場合はおそ松さんのファン側だけでなく我々Snow Manのオタク達も本当に怖いポイントだった。

佐久間氏がいるから慎重になってくれてると最低限の信用はできても。
「本当に大丈夫だろうか」という懸念はどうしたって拭えなかった。
疑ってるんじゃない。
彼らがすごく真面目で素直な人たちだというのはオタクやってて分かってるつもり。少なくとも、不実な人達ではない。
怖いのはその感情の方向性
オタクってすげー身勝手だけど。
ぶっちゃけ「大事に思ってる」「軽視してない」の向いてる向きが違ったら、それはそれで「リスペクトが足りない(私の求めているように愛してくれてない)」という事になりかねない。
その認識を、Snow Manはじめ制作陣がおそ松さんのファンの人たちから受けてしまったらどうしようって、そこが1番怖かった。

同時に、自分の好きな人たちが違う認識を正しいだろうと誤認して盛り上がっているような光景は見たくなかったし。
その齟齬によって、おそ松さんのファンの人たちから私が好きなコンテンツ(Snow Man)を大事に思ってもらえなくなったらどうしようって。
そういう気持ちも少なからずあった。

ひと言で言うと「そういうんとちゃうねん」って思われたら、正直なところ“実写化”としては成功とは言えないじゃないですか。
“実写化”つまり原作が他の媒体である時。元々の、その媒体でのファンの人たちが見てみて満足いくことが、究極「やってよかったな」とようやく言えるんじゃないのかなと。
私は思う。
そういうのの是非って、少なくとも実写おそ松さんの場合は原作アニメのファンの人たちが最後の判断材料になるんじゃないのかなと。



色んな意味でドキドキしながら観に行ってきた。

結論から言う。


実写の意義はあったし、ちゃんと面白かったからたくさんの人に見てほしい


何がどの角度からネタバレになるか分かんないからフワッとしたことしか言えないけど。
騙されたと思って見てほしい。絶対に後悔しないから。



これは一応ハッキリ言っておかなきゃなと思うから言うけど。
上映開始10分経過時点では「あ、これ終わったかも」って絶望感が出てきてた。
おそらく、ここは見た人の間ではおおよそ見解の一致だと思う(笑)
想像しうる最悪のパターンが過ぎったけど。
でもすぐにちゃんと面白くなる。
何がどう、と言いづらいのが難点だけど、でも「あ、これ終わったかも」と絶望したシーンもちゃんと前フリになって生きてくる
というか、その前フリこそが「これが実写化である意義」にもなってくる。

言い方が大袈裟だと、Snow Manのオタクの盲目だと言われても別にいい。
ただ、私は初めて有名アニメの実写作品を見て「面白かった」と思った
もしかしたら後にも先にもここまでの満足感は得られないかもしれない。
これは私がスノのオタクだからじゃない。
ストーリーが面白かったし、アニメーションの実写化だからやれる要素もあったし。誤解を恐れずに言えばおそ松さんだから許される展開もあったように思う。



アニメおそ松さんの実写映画化作品


としてめちゃくちゃ良いものに仕上がってたのは間違いない。

再現っていうか、ちゃんとおそ松さんしてたし実写化作品としての面白さがあった。
あと、映画のスケール感じゃなきゃやれない作品だった。



それくらい、良い作品だった。



だからといって別の誰かが別のアニメ作品を実写化しまーす!って言い出したら、その時はその時で「は?喧嘩売っとんのか」の感情にはなるだろうけどな!


楽しかったぜブラザー!!!