主にひとりごと

タイトル通り、ときぶいすの担によるひとりごとです。感じたことを語ったり、好きなことを話したり

いずれ天才へと至る人

今からちょうど1年くらい前だったと思う。
とあるアイドル誌にて、宮舘さんが「自分のことが好きじゃない」と発言したことがある。
それは3:3:3の対談形式で、読者からのお悩み相談(各組同じ相談)をするというコンセプトのものだった。
「自分のことが好きになれない」という人の相談に対して宮舘さんは「俺も自分のことが嫌いだからよく分かる」と同調していたと記憶している。

正直、かなりびっくりした。



えっそのキャラで????



って思った。

これは穿った見方になるかもしれないけど。
“舘様”と名乗りメンバーからもファンからも「国王」「貴族」という扱いをされ、それを受け入れているのって、少なからず自分のことが好きじゃないとできないことだと思ってたから。
ナルシズムではないけれど、本当に自分が嫌いなら例えキャラ付けであったとしても他人からそういう持ち上げられ方をするのは耐え難いんじゃないのかな、と。

あとそれから、宮舘さんって他の場面における発言でも、普段の立ち振る舞いでもパフォーマンスでも、大体において確固たる自分の像があって、そのプロデュースには経験と実績に裏打ちされた自信があるようにも感じていたから。

だから、すごくびっくりした。
同時に、何となく納得している気持ちもあった。

だって宮舘さんって理想主義完璧主義者だから。


ストイックを地で行くような人。
妥協ができない人。
何事に対しても常に前のめりな人。
それが、宮舘さんを好きになってからブレることなくずっと抱いているこの人に対する印象なんだけど。
宮舘さんは他の誰かよりも「“できない”ことに対する忌避感が強い」んじゃないのかなと思う。
向いてる向いてないは別の話として。
自分の中に「できないこと」があるのが許せないんじゃないのかなって。
だから、厳密に言うとができないことがある、今の自分が嫌い」なんだろうと思う。

宮舘さんって、「困った時の舘様」と言われるくらいにオールマイティな人で、「Youは何でもできるね」ってかつてジャニーさんに言われたことが自分の指針になっていて。同時に「You1人に何ができるの」って言われたことがものすごく辛かったと何度も話すくらい大きく心に刺さっている人。
元々、すごく負けず嫌いで、「できないこと」「できる」に昇華させるために努力する人で。
「できないことがある自分」を、きっと受け容れることができないんだろうと。
そんな風に思う。
そして「できない」「できる」になったら、その次は「上手くできる」「もっと上手くできる」を目指すような、そんなストイックの塊みたいな人。
それを強く感じたのは滝沢歌舞伎ZERO2020The Movieに関するインタビューにて。
試写をした時に「自分のフライングを見ると、どうしても反省点が先に目に付いた」と話しているのを読んで。
映画を見てから改めてそのインタビューを読み返してみて。
あぁ、本当にこの人って自分に満足できない人なんだなって思った。
「更に高みへ」「Plus ultra」じゃないけれど。
常に「もっとできただろう」「次にもっと上手くやるには」“先”を見据える人なんだとその時に思った。
現時点での自分の位置を的確に客観的に見つめた上で、自分が求める“理想の自分”なら、「もっと上手くできたはず」と常にもう1つ上を目指してる人なんだなぁ、と。

完璧主義だから「できない自分」が嫌いで。
理想主義だから「もっと上手くできた“はず”」と思う。


あの発言があった時期、「舘様は自己肯定感が低いのでは」というような意見をチラホラと見かけたけど。
とんでもない。
「自己肯定感が低い」「自分が嫌い」なことは違う。
厳密には宮舘さんの場合は「自分が嫌い」なんじゃなくて「自分に満足できない」が正しいように思うし。

自己肯定って、要は「自分はこう」だと“正しく”捉え受け止めることだと思う。
自分に自信がなかったりして「自分なんて駄目だ」と決めつけたり、他人に褒められたりしても「そんなことない、自分なんて」と頭ごなしに拒否したり、著しく自己卑下してみたり。
そういうのは、いわゆる「自己を肯定してあげることができない」=「自己肯定感が低い」というやつだと思うけど。

でも、宮舘さんは違う。
宮舘さんは自身の現状を正しく捉えられてると思う。これは私の主観による評価だから、正しくない可能性も存分にあるけど。
でも、少なくとも“アイドル”“パフォーマー”としての自己肯定感が低いだなんて思ったことは1度もない。
でなきゃあんなに“舘様”という“自己”が確立したキャラクターなんてやってないし。“舘様”然としたパフォーマンスができるはずがない。
それに宮舘さんって絶対に自己卑下はしないし。
「自分なんて駄目だ」と決めつけない。
「自分はこうだ」と現在地を正確に捉えた上で、「もっとこうしたい」「こうあるべき」という向上心に満ち溢れた自己批判しか、少なくとも私は見たことがない。
「否定」と「批判」は別のものだから。
自身を頭ごなしに拒否し否定することと、自身をより良くしようと批判的に見て改善点を模索する行為は全く違う。
「自分のことが嫌い」という言葉から受け取れる感情として想像し易いのは前者かもしれないけど。
宮舘さんを見ている限り、彼からそんな印象は生まれたりしない(少なくとも、私は)。

ただ、宮舘さんご自身が果たして自分に満足できる日が来るのかと考えるとそれは疑問だけど。
きっとこの人は、“架空の最善”をいつも思い描いているんだろうなと思うから。
自分の現状に対して、それを超えられることを期待して、「きっともっとこんな風にできた“はず”」と。無理難題にしか思えないようなレベルの理想を見てすらいるような気がする。
「絶対にできないと、根拠をもって否定することができる人なんて存在しないからできると信じる」ような、そんな崇高で完全なレベルの理想を己に掲げているんじゃないのかなって。
まぁ、ここまでくると妄想の域なんだけど。
宮舘さんだったらそれくらいのこと考えててもおかしくないからなぁ。

そして、そういう完全無欠主義の宮舘涼太を思う度、あぁやっぱり私はこの人が好きだなと実感する。
正しくは、完全無欠で在りたい、そう成りたいと思っているであろう宮舘さんの、成り方がとてつもなく大好きで。


「僕は天才ではないけれど 天才になれる努力はしたい」


いつぞやのan・anにて御本人が発したこの言葉(この文章は意訳が見出しになったものだけど)。
これが私はとにかく好きで。
というか、宮舘涼太とは何ぞやと問われたら「この言葉を、覚悟を持って言い切れる人」と言って差し支えないと思う。
このインタビューを読んだ時の、文字通りに心臓が震えた感覚は忘れようがない。
宮舘さんは徹底的に努力の人だけど。
努力で何でもかんでも「できるようにしてきた人」だけど。
その果てに在る姿が「天才」っていう究極の矛盾をこの人はごく当たり前のように目標に定めてる。
天才、つまり生まれながらにして“もっている”人に、後天的に成ろうとしているだなんて。とんでもない矛盾だと思う。
何でもできる人、に「成る」ことで。
宮舘さんはそれを現実にしようとしているんだなぁと、震え上がった。


なんて愚直な人なんだろうって思った。


念のために言っておくけど、間違ってもこの言葉を侮蔑的に捉えてほしくない。

宮舘さんって、何かをできるようにするために何度も何度も、できるまで繰り返す人で。
新しい方法を模索したり、器用に苦手なポイントを避けるでもなく、ただひたすらに、できない行為を繰り返し繰り返しチャレンジしてできるようになるまで。
そうやって、「できない」「できる」ようにしてきた人。
器用な人、器用に何でもできる人って思われてるけど。
実際、今や何でもできるような人だけど。
そこに至った方法はどこまでも不器用に1つのことを繰り返すというやり方で。

それを繰り返して、芽が出るかどうかの保証もないのに。
ただ根気よく努力を重ね、繰り返して。
そのやり方も、言っちゃアレだけど全然賢くないやり方で。
それって、常人では有り得ないくらいの真面目さと素直さがないとできないことだと思う。
そもそも愚直という言葉の正しい意味は所謂「いっそ愚かなほどに素直な人」「バカ正直」ってことだし。

できないことを繰り返すのって、本来すごくストレスになることで。
「自分は駄目なんじゃないか」って思ったり、不安になったり、投げ出してしまいたくなるもので。
「できたってそれで何になるんだろう?」っていう類いの不安だって、過ぎってもおかしくない。
それでも宮舘さんって、「(できるようになるため)失敗し続ける」よりもできないと投げ出してしまう(できないことを認める)ことを選ぶ方が何よりも嫌な人なんだろうから。
だけど実際のところ、宮舘さんは“それ”以外に方法を知らず、あるいは“それ”が本人にとって1番の近道だから。
愚直に同じ行為を繰り返して「できる」ように成った(あるいはこれから成っていく)人なんだろうと思う。

その愚直さってすごく美しいものだと思う。

その結果、「何でもできる人」「困った時の舘様」と評されるように成った宮舘さんって、なんてかっこよくて美しい人だろう。
その結果だけを見て勘違いしてる人がいるけど、完全に努力の人だよね?とインタビュアーに言われて
「そこはどう思われてもいいです」なんて言えてしまう強さまであって。
溜め息しか出ないくらいに美しくて、かっこいいと思った。


一時期、本当に「この人は自分のやってることを自分でちゃんと褒めてあげれてるのかな、自分の幸せをちゃんと自分で喜べてるのかな」「嫌なこととか辛いことを吐き出す術って持ってるんだろうか」って。デビュー前後くらいに心配になったことはあったけど。
徹底的に自分の喜びよりファンの人のことばっか見る人だから。
ちゃんと自分の幸せとして喜びを抱く瞬間がこの人にはあるんだろうか。
辛いことを言葉に出そうとしないこの人は、黒いものが溜まりきってどうにかなったりしないだろうか。
恐れ多くもそんな心配をしていた時期が、確かに私にもありました。

でもデビュー魂の最後に、何度も「不安はあった」「苦しい思いもした」「でもめげなかった」「これからも色々と壁にぶち当たってもぶち壊していきたい」ってマイナスな部分を吐露してくれたのを見てすごく安心した。
あぁ、この人辛かったことを辛かったってちゃんと言える人だわって。
「できないことがある自分」が嫌いな人だから、ネガティブなこと言うのも嫌いなんだろうなと思ってたし。事実、絶対に嘘だったろうにデビュー当時のあらゆるインタビューで「辛いと思ったことはなかった」とか平気で言ってることあったし。

だけどそういうことを口にできる人(あるいは、できるように成った人)で、同時期くらいから自分がやりたいこととか夢とか、そういうのも積極的に言葉にしてくれるようになったのが本当に嬉しかった。
「自分がそれをやりたいから」「自分がそう成りたいから」で夢を話してくれること。すごくすごく嬉しかった。
それはきっと、メンバーに変えられた部分なんだろうと思う。
メンバーの中でも特に佐久間氏や康二やめめは、こんな事したいをハッキリ何度も口にする人だから。
そうやって、実際に夢を叶えてきた人たちだから。
そんなメンバーを間近に見たからなのか、最近は口にしてくれることが増えたのが本当に嬉しい。
不言実行の美学ってのがあったように感じていた時期もあったけど(実際、本人そう思ってそうなとこあるけど)、言葉にしてくれた方がこっちだって一緒に喜べるから。
叶ってほしいと寝返るし。
叶った時に特別に喜べる。

宮舘さんが、強いとこを見せるだけじゃなくて、弱さを隠す機会が減ったこと、自分主導の言葉を話す機会が増えたこと。
どの立場だよって思いながらもめちゃくちゃ嬉しいし。
本当の意味で“強いひと”なんだなぁって感じる。

まぁ、「自分のこと嫌い」だなんて誌面に載せられるあたり、本当に心底問題視するようなことでもないんだけど(きっとこの人は本当に知られたくないことは何があっても隠そうとする人だろうからね)


きっと宮舘さんは、未だできないことがある自分のことを、いつかどこかで「好きだ」と言える日は来ないのかもしれないけれど。
でも、私は常人では気負いすぎて潰れてしまいそうなくらいに理想が高いのにそれを背負ってまっすぐ立てる貴方が好きだし。
その結果、何でもできると人に言われるまでに本当に成った上でまだ洗練された自分に成ろうと上だけを見ている貴方が大好きだし。
そんな、一種の“象徴”みたいに成ろうとしているんじゃないかと心配になりかけた傍からグループの中でむじゃきにげらげら笑う姿を惜しげも無く見せてくれる貴方のことがどうしようもなく好きです。
宮舘さんご自身が自分を好きだと表立って褒めたり肯定しない分だけこっちが全力で肯定して祭り上げたいと思う程度には、やっぱり好きです。




ちなみに、「自分のことが嫌い」という発言について。
同じ雑誌の中で別のメンバーと対談していた渡辺翔太が言った

「でも、自分で「自分のこと嫌い」って言う人ってほんとはちょっと自分のこと好きだよね(笑)」

があまりに核心を突きすぎているので「はいはい、ゆり組さんには敵いません」とだけ言っておく。