主にひとりごと

タイトル通り、ときぶいすの担によるひとりごとです。感じたことを語ったり、好きなことを話したり

トンボを思って心をへし折られた

自担こと宮舘涼太さんが自身初の連ドラレギュラー出演を務めていらっしゃる木10ドラマ『大奥』
普通に毎週楽しんで見ていたところ、6話での定信さまの言動に大いに狂わされ、考えれば考えるほどいい意味でしんどくなってきたのでちょっとだけ吐き出しておく。








──時は江戸中期。景気は悪化の一途を辿り、日本国民は質素、倹約、勤労の日々を強いられていました。
格差は広がるばかりで、人々はこの景気を改善し、国と国民を豊かにしてくれる将軍の登場を待ちわびています。
そんな中、倫子第10代将軍・徳川家治と政略結婚を強いられ、京から江戸城本丸の裏にある大奥へ渡ると、そこには1000人近くにも及ぶ将軍に仕える女たちがいました。たった一人の天下人の寵愛を受けるべく、今、女たちの熾烈な戦いの火ぶたが切られるのです。一方その頃、大奥を、江戸幕府を、混乱の渦に陥れようと、ある人物が陰謀を企てていて……。

(フジテレビ『大奥』より引用 大奥 - フジテレビ)




宮舘さんが演じる役どころは松平定信
主人公・倫子の幼なじみにして10代将軍・家治の従兄弟にあたる関係。つまり8代将軍・吉宗の血を引いている、本来であれば正当な後継者候補だった男。
幼少期に養子に出されたこともあり姓が変わっているため、名乗られるまで倫子も彼の正体が幼い頃に一緒に遊んだ「賢丸(まさまる)」であることには気づかなかった。




定信さまはぶっちゃけ6話に至るまで登場シーンがさほど多くないため1〜5話を超ダイジェストでおさらいすると、彼は5話までの段階で
・御台所となった倫子さまに意味深かつ不穏な忠告をしてくる
・実は吉宗の孫の1人
・実は倫子さまの幼なじみ
・幼い頃に養子に出されているため将軍になる権利がない
・養子に出された経緯として田沼意次が暗躍した(結果、後継者争いから追放された)
・倫子さまは初恋の相手
・どうやら大奥の内情を知る手立てがある
正直この程度のことしか分かっていなかった。






しかし遂に(公式でも「遂に」の文言が書かれていたが、いやほんと、“遂に”)定信さまが6話にして大胆に動き始める。
きっかけは父・宗武が病床に伏せったこと。
自身の死期を悟った宗武は息子・定信に吉宗公から引き継いだ刀を託し、最後にとある言葉を吹き込んでこの世を去っていった。





その頃、大奥で倫子は悩んでいた。
側室であるお知保の元で若君が誕生する一方で自身は未だに懐妊する気配が少しも見られなかったから。
妊娠しやすくなると言われる香を焚いてもらい、効果があるとされる食事を摂り、毎日神仏にお祈りを捧げているにも関わらず、である。
倫子を想うが故に気遣ってくれる家治ともすれ違いが生じ、どうしようもない嫉妬や劣等感で涙すら浮かんでしまう始末。
そんな中、不意に届いた定信からの文にはこう記されていた。
欲を持つ以上、誰かを羨み、妬むこともあるでしょうが、倫子殿はそのままでこの上なく素敵ですよ
上様を愛してしまったがためにドロドロとした愛憎入り乱れる『大奥』にひっそりと染まってしまい、お知保に嫉妬心を抱き、それにより自己嫌悪もした倫子は定信からの文を読んで本来の“らしさ”を取り戻し、再び家治と向き合い心を通わせる結果に。

4話でも城下町をデートして倫子さまに簪をプレゼントしたり彼女を巡って上様を大煽りするなど、何かと倫子さまを気にかけている定信さま。
「初恋の御方」というだけあって悩める倫子さまに遠回しな助言をするなど粋な優しさを持った誠実な御仁。
……………だと、思っていたのですが













なんと付き人が倫子さまに「子ができやすくなる」と薦めて焚いていた香の中にはむしろ子ができにくくなる成分が入った薬草が混ぜられていることが発覚。
お品さんに薬草のことがバレた女中は何とかお品さんの元から逃げおおせたものの、彼女を差し向けた張本人である定信さまに無惨にも殺されてしまったのでした。







この香に関する大どんでん返し、6話のラスト数分で明かされた衝撃の事実で。
視聴者…というか私のことを大いに狂わせた。


定信さまが父から遺言のごとく囁かれた約束とは「家治の血筋を根絶やしにし、定信自身が頂点に立つ」こと。
要するに「次期将軍になれ」というようなもの。
なるほど?現当主が子どもごとみんな死んでしまったところへ「実は家治様と同じく吉宗公の孫にあたる男」が登場すれば大手を振って玉座に着くことが叶う……のか?(ほんとか?)


幼少期に養子に出される形で後継者争いを追い落とされた人が再び成り上がることが叶うのか、詳しい事情は分からんけども。






いずれにせよ、定信さまは父親との約束を果たすために刀を抜く道を選んだのである。
何よりゾッとするのは「家治の血を根絶やしにする」目的のために定信さまが倫子さまに取った行為。
Xでも大いに狂わされた旨を語ったけど。
薬草を混ぜた香を嗅がせて妊娠を阻み、焦燥感に駆られる倫子さまへ丁寧な文を送り「今のままで“この上なく”素敵ですよ」と優しく優しく抱き込んで、子ができなかったとしてもいいんじゃないかと自発的に諦めさせようとしていたわけですよ。
額面通りに受け取れば倫子さまの本質を見抜き優しい言葉で諭しているのに、真意を知れば優しさでも何でもない。
しかもこの行為に至った理由が“初恋の御方”である倫子さまを上様が射止めたことへの嫉妬心でもなければ目的を果たす過程で倫子さまの子を手にかけるとなったら決心が鈍るからなんて殊勝な考えからでもない。
倫子さまが子を産んだら、その子を殺すときに倫子さまが悲しむからである。
つまり“家治の血筋”にあたる子どもは当然のように殺す算段にはなっているということになる。
“我が子を殺されて倫子殿が悲しむ顔は見たくなかった”という意味になる。





こんなに、一部の隙もないくらい常軌を逸した行動は、実は幼少期から片鱗があった。
『大奥』第1話。
物語の冒頭のシーンにて。
幼い頃の倫子さまが、おのこに呼びかけられて振り返ると羽を片方毟られたトンボを目にしてゾッとする、という場面がある。
何を隠そう、このトンボの羽を毟った少年この後の定信さまである賢丸なのだ。
そして倫子さまに「こんなことやめてあげてよ!可哀想でしょ!」と絶叫された賢丸は、表情ひとつ動かさず「“可哀想”……?なぜだ?」と返す。
トンボの羽を毟って動けなくして手中に納めるという行為から窺える残虐性を、幼少期から定信さまは理解できていなかった。
女性に子を産みにくくする作用のある薬草を嗅がせる行為の狂気性も、おそらく定信さまは理解していないのである。
何てこった。物語が始まってからずっと、遠く離れたところから密かに倫子さまの身を案じ、時に上様に発破をかけるかのような立ち振る舞いをしていたのも「貴方がしっかりしてくれなきゃ倫子殿が幸せになれないじゃないですか」的な考えからくるものなのかと思っていた私の予想を粉々に砕かれてしまった


ちなみに、これを書きながら「いや待て、あのお香を嗅がせていたのは、“優しさ”ではあったのかもしれない」と不意に思った。
だって、子が産まれてきてしまったらたとえ倫子さまの子といえど「家治の血筋」として手にかけることになる。

どうせ死ぬ命なら最初から産まれないようにしてあげよう的な。

「殺して悲しませることをしたくないならそもそも産ませないようにしよう」的な。そんな猟奇性に全振りしたマリー・アントワネットみたいなスタンスだったら本当にどうしよう。
せっかく産まれてきた子がすぐに死んでしまったら倫子殿は悲しんで“可哀想”になるから、せめてそうならないようにしてあげよう」という価値観から“可哀想”の単語が出てきてしまったら。
駄目だ、自分で言ってて哀しくなってきた。
……いやでも、ワンチャン可能性あるからなぁ…。
「倫子殿が悲しむ顔だけは見たくはなかったのだがなぁ」って彼女を思い返す時にうっすらと穏やかな笑みを浮かべていたことを思うと可能性を捨てきれない自分がいてとてもとても苦しい。



ちなみに外堀を埋めるような形で倫子さまにお子を諦めさせようとしていたのは定信さまだけではない。
お知保さんを差し向けて嫡男をもうけさせた大奥総取締の松島様も同じだった(彼女の場合は上様を促して外堀を埋めさせようとしていたのだけど)。
投げかけている言葉の方向性は同じだけど、実はこの2人が危惧していることはまるで違うという対比も恐ろしい。
松島様は自分の配下の側室から嫡男が産まれた以上、もう子どもは産まれてほしくない。邪魔者同然だから
まして正室から若君が産まれようものなら後継者争いは熾烈を極めることになる。
そして仮にそれに負ければ自分は権力を握れなくなるので産まれられては困るわけだ。
だから松島様は自分のために倫子さまに諦めさせようとした。

対して定信さまは、子が何人産まれようと知ったことではない。
何故ならどうせみんな殺すから
産まれれば産まれるほど殺す人数が増えると言うだけで別に産まれられて困る理由はない。
再三言ってるけど我が子を殺される倫子殿が困るだけなのだ。
そう、何と恐ろしいことに定信さまは倫子さまのために倫子さまに子を諦めさせようとしていたのである。


とんでもねぇ対比もあったもんだ。
まぁこれは私が勝手に感じているだけだからそのつもりで脚本が書かれているかは知らないけど。





それから、差し向けた女中が失敗したことで命乞いをする時の何の感情もない目の色。
冷たいという言葉で形容することすらできない、“無”の表情。
あたかも「シナリオを書いていた紙を書き損じてしまったから丸めて捨てる」程度の関心しかなさそうな顔つきに心底絶望した。
それこそ、逃げないようにトンボの羽を毟った行為を“可哀想”と思えなかった幼い頃と同じ目の色だった





そう、トンボ。
トンボなんだよ。
定信さまは羽を毟ったトンボに無感情でいられてしまう男なんだよ。
これの何が問題って、大奥という物語においてトンボというのは重要な存在だから。


この『大奥』というドラマの中で、しばしば主人公・倫子さまのメタファーとしてトンボの表現が登場する。
「トンボは前へ前へと飛んでいくから見ていると元気が出る」という言葉を受けてのお品さんの「倫子さまみたいですね」という発言も。
女中たちの嫌がらせで懐紙入れ用の布を切られてしまった時に羽の部分が切れたトンボを、傷を負いながら手で縫い合わせた末にそれを上様が選び受け取ったところも。
側室となったお知保さんとの御渡りの夜、上様が彼女に覆い被さる時に屏風の中のトンボと見つめ合い葛藤した場面も。
トンボという存在が倫子さまのメタファーとして描かれているのなら。
そう考えるなら、冒頭のトンボは。
賢丸(後の定信さま)によって、トンボは羽を毟られてしまっているのである。

その正体が、6話によって遂に確定してしまった時の演出が憎らしいほど救いがなくてゾクゾクしてくる。
今もやはり、定信さまは「羽を毟られたトンボがなぜ可哀想なのか」を知らないまま、「倫子殿が子を授からないように香を嗅がせている」という展開が示されてしまっていた。



どの角度から見ても完璧なくらい幾重にも折り重なった狂いっぷりを見せつけられてトンボ(倫子さま)に思いを馳せた結果、情緒がボロボロになった。
しかし私は元々創作によって情緒を振り乱されることが堪らなく好きな業の深い人間だからこのボロボロっぷりが気持ちよくて仕方がない
次回以降も暗躍していく様子の定信さまだけど、お願いだからあのお香の正体だけは倫子さまにバレないままお品さんの懐にしまわれて終幕を迎えてくれないものか……


いずれ定信さまの本性(野望?)的なのは倫子さまや上様も知るところになるんだろうけど、もしもその中で「どうせ殺すんだから最初から産まれない方が倫子殿が無駄に悲しまなくて済む」という理由から子ができにくくなるよう仕向けられていたことを倫子さまが知ってしまったら、倫子さま諸共に私の情緒がぶっ壊れてしまう。
それもそれで、創作物として受け取る側の私は一興ではあるけど倫子さまは…あの………本当に上様とひたすら幸せになってほしいので…………!!

自覚なく3年間胸の内に燻っていた亡霊が成仏した話

5月26日、大阪を皮切りにスタートしたSnow Man初のドームツアー『iDOME』



ようやく、スポーツ観戦やコンサート・ライブ会場で『声出し』がOKになってから初のコンサート。

※厳密には前年から解禁はされていたけど、 ツアー途中からだったから全面解禁という意味では初


2020年1月にデビューし、その次の月にはコロナが流行り始めたSnow Manにとって、実は初めての声出し全面OKのコンサート。



その初日公演に入って。



平たく言うとめちゃくちゃ楽しかった。
これは大阪公演を終え6月に入ろうというタイミングで書いているものだけど。
終わってから数日経った今でさえ、思い出すと「あぁ、よかったな」と思える程に。





めちゃくちゃ凝ったOP映像から入って。
一曲目、会場にD.D.のイントロが流れ出した途端の高揚感。
いつか単独でドームに立ちたいねとメンバーが言っていた夢が叶った、その最初の機会に。

大切なデビュー曲が聴きたかった。

おそらく、入る前にみんなセトリどんな風になるんだろうなーって色々と想像を膨らませたと思うんですよ。
私もいくつか「こんな感じだろうか」と候補を予想してみたりして。
勿論、一曲目のD.D.もその一つ。
というか、本命だった。
フル尺のイントロと共に出てくるSnow Man想像してテンション上がって。


思い描いていたソレがそのまま現実になると思っていなくて。


ぶわわーって涙こみ上げてきたんですよね。
えぇ、涙腺弱いもので。




明らかに金と時間のかかった、凝ったOP映像が流れて。
会場のボルテージが上がりきったところでD.D.のイントロが流れて。
大歓声の元へSnow Manというアイドルグループが出てくる。
しかも、めちゃめちゃ重たそうなコートを羽織って。



個人的に(あくまでも個人的に)初ドームの最初に見る光景としてこれ以上の正解ってないんじゃないだろうかってレベルの理想そのままだった。


ダンスを主体とするSnow Manは衣装も常に機能性重視。
だからこれまでも衣装で重たいコートを着るようなことは一度もなかった。


でもさぁ、何となくイメージとしてあるじゃん。
ファー付きの、明らかに重厚そうな見た目のギラッギラのコートを着てマイクを持つアイドル。
無理を承知で、1回この目で見てみたかった。
それが、この機会に叶った。

正直この時は予想だにしていなかった御髪の宮舘さんを見てしまって以降の記憶がしばし飛んでるので思い返すのは実質不可能なんだけど
あ、でもMCタイムで佐久間さんが「あんなに重たいコート初めて着た!」って嬉しそうにしてたの嬉しかったな





直前に発売したアルバムを中心に、双眼鏡が熱気で何度も曇るくらいのパッションと激情を迸らせながらあっちへこっちへ走り回り大熱狂するメンバーを見て。
終盤、D.D.のMVをセルフオマージュした映像を流されて。

あぁこの人たちはこんな映像を自分たちで意思を持ってお届けしてくれるくらい、でっかい存在になったんだなぁと嬉しくなり。

感極まるメンバーを見て少しだけもらい泣きしながら。



興奮のままにステージが終わった。





私が見るのはこの一回きりで、初日にして全てが自分の中で終わって、それをあとはゆっくりと消化していたんだけど。

大阪公演が終わり平日になって。
仕事している時に記憶を振り返ってみて。
こんなに何日もじんわりと噛み締めるように幸せな気持ちが持続したのって初めてで。


何でなんだろうなーって自分なりに自分の感情を探ってみた時。
多分、私がSnow Manさん達でまず何よりもちゃんと見たかったものを初めて見ることができていたからなんだと気づいてびっくりした。


何にびっくりしたって。
3年越しに自分の中の心残りが昇華されたことに気がついたから。








3年前。
デビューして間もなく行われる予定だったコンサート。
彼らのデビュー魂が行われたのは10月だった。
本来は、3月に行われる予定のものだった。



できなかった。

デビューして間もなく、新型コロナウイルスが世界的なパンデミックを起こした影響で。


当時はこれほどに長引くものになるとは社会全体が思っていなかったから。
どこの媒体も、どうか公演ができますようにとギリギリまで中止の決断をしなかった。

だけどまぁ、現実はあの通りで。
Snow Manさん達に限らず、どこのグループも。
もちろんジャニーズ以外も。
エンタメは足を止めざるを得なくなった


行くはずだったデビュー魂。
春を過ぎ、一度夏に再びできるかもしれないと期待が顔を出したものの、それも無くなり。
異例の4日間の横アリ貸切昼夜含めて9公演、全公演を生配信という形でデビューコンサートは敢行された。


私は決して、彼らの長い来歴を詳しく知っているわけではないけれど。


長い下積みを経てようやくデビューして。

デビューコンサートで、ファンと対面して。

ファンからありったけの「おめでとう」を受け取って。

「おめでとう」「ありがとう」が交差するような空間で。

めいっぱい歓声を浴びて。
彼らと彼らを大切に思う人たちで作られた空間で。


私の方や、私が見えない角度にいるファンに向かって嬉しそうに手を振って花道を歩く。


そんな光景が、見られるはずだった



その、きっと有り得たであろう光景を見ることが叶わなかったことが。
おそらく私は、悔しかったんだと思う。
考えを整理している内にようやく自覚したくらいだけど。


彼らがデビューした、それを祝うためのコンサート。
それが配信上でのものになって。
直接、同じ空間でその祝福を贈れるファンが誰もいなかったことが。

私はきっと、すごく悔しかった。


自分が、じゃなくて。
誰も。
「デビューおめでとう」って会場で伝える機会が訪れなかった事実が。

それがきっと、とても悔しかった。

言ったって仕方のないことだからと胸の内に収め、自分の中だけに埋没させ。
そうしている内にいつしか忘れてしまっていたことだけど。
忘れていただけで、自分の中から消えたりはしていなかったようで。



だから、あのドームでの光景は。

デビュー曲を歌いながら登場する彼らに向かって地響きが起こる程の歓声とペンライトの光が揺蕩う光景は。

私がずっと見たかったソレそのものだった。



これは持論だけど。
アイドルのアイドル性を育むのってファンの歓声だと思ってるから。

自分のしたことでファンが湧いて。
それをその場で耳にして。
大なり小なり、すぐさまフィードバックする。
自分たちに向けられる愛情と歓声を一身に浴びて、アイドルは艶を増していく。

私はそんな風に思っているから。


だから、全身に自分たちにだけ向けられた愛情と歓声をたっぷりと浴びて。
自分の一挙手一投足に湧き上がる声を聞いて自身の言動がそうさせたのだと感じてもらえる。
貴方の存在や行動に沸き立つファンが今、この場にいるのだと、その人に分かってもらえる。
ようやく、私は自分が好きなアイドルとその空間を共有できた。


それが、涙が出るくらいに嬉しくて。




あぁこの人たちは確かに、いつか見た夢の中にいるんだろうと。

それを受け止めることができたのが。
それに立ち会えたことが。
嬉しすぎた。





ドームでのセトリや演出。
色々と、やりたいこと詰め込んでて。
それ見るだけで「あぁこの人たち本当にドーム規模でコンサートするの嬉しかったんだろうな」がよく分かる作りになってて。

その中で、私が勝手に1番嬉しかったのがナミヲのフルサイズ披露で。


無自覚に、誰も訪れることができなかったデビュー魂の亡霊に取り憑かれていたらしい私は、できることならこのツアーで歌ってほしい曲のリストにこれを入れていた。

この曲はねぇ〜〜〜!!
思い入れという点においておそらく今後も塗り替えられることはないだろうなってくらい自分にとってはSnow Manさん達の曲の中でぶっちぎりに好きな曲なんですよ。
好きというか、まぁ好きでもあるし、大切な曲。

初めてこの曲を聞いた時、こんなに青臭くて泥臭い曲を爽やかに歌い上げる令和のアイドルって存在するんだなってびっくりした。

楽曲そのものがSnow Manのこれまでに合いすぎていて聴く側が感情移入を禁じ得ない曲ってのを歌う率があまりにも高すぎるSnow Manさん達だけど。

その中でもナミヲは秀逸だなと個人的には思う。

※まぁ、このグループのファンやってて一番苦しかった時期にこの曲を頻繁に耳にする機会があって助けてもらっていたという思い入れ補正がゴリゴリに入っているけども



「今度こそは」を期待した手
何度も雲を掴んだって
運命は自分で決めたろう?


「いつの日か」が今日の日に
目覚めない夢に
訪れるまで



この曲を
ようやくデビューに漕ぎ着けデビューコンサートまで辿り着き。
あの日、誰もいない客席に向かって。
きっと画面越しに見ているであろう私たちに向かって。
自担が「いつか行きたいね」と笑いかけてくれた、“その”場所で。

私はどうしても歌ってほしかったんだ。



いつか見た夢の中に、“そこ”に居られて、幸せだった




これは私の感じ方だけど。
きっとSnow Manさん達って見えてはいない色んなもの(けれどおそらく本来なら当たり前だったもの)を、コロナ禍によってポロポロと取り零してきた人たちだと思ってて。
それは、デビュー魂もそうだし。
それこそファンの歓声だってそう。
その瞬間、目の前にいるファンにファンサして声が上がることなんてのも、そう。

当たり前にあるはずだった「アイドルとファンの距離感」とか、「時間と空間の共有」だとか「感情と熱気のぶつけ合い」だとか。
そういうもの全て。


デビューしたと同時に一度全てがなくなって。
当たり前じゃないのが普通ってことに、いつしか“なってしまっていた”グループで。

そういう、本来なら当たり前にそこにあったものを“仕方のない失い方”をしてきた人たちで。
多分、今回のコンサートはそういうものを自分たちの手の内に取り戻すために絶対必要なことを全部やっていたように思う。


だから、ようやく自分のところへかつての当たり前が戻ってきて。
心の底から嬉しそうだったし。
笑っちゃうくらい熱狂してた。

だからそれを見て、自分の中に燻っていた亡霊もやっと成仏できたように思う。


D.D.始まりでキッシンやってGrandeurに繋がる冒頭のセトリも。
デビュー曲のMVを模した映像も。
自分たちがデビューすると発表した時の映像から今に繋げてLock on! を披露してくれたことも。

至るところに、この人たちがドームに立てる喜びとこれまでの軌跡を感じたし。
横一PPPをドームに持ってきたこととか。
大熱狂のCry outとか。
そういうのも、勿論そう。


何ていうか、この人たちドームデビューしたんだなぁって感じる構成がそこかしこに散りばめられてて。

ドームで単独でのコンサートできる貴重な喜びと共に、これを今回限りのものにしたくないんだろうなっていう気持ちも私は感じ取った。



今回はもちろん、「次」もきっと。

見る人を楽しませる一方で自分たちが一番盛り上がるようなあなた達でありますように。

義と忠と情と覚悟で生きている(SANEMORI感想)

新春歌舞伎公演SANEMORI

1月19日の公演を観劇してまいりました。
コロナが蔓延して以降、実は初めての東京。
仕事の関係上、おいそれと人のいる所へ行くわけにいかず、3年ほど現場を手放していたのですが(スノラボ参戦は大阪ということで許可した)。

今回だけは何があっても見送ることはしたくない、と思い仕事を調整して許可を得て東京へ。


宮舘さんのことを目にとめ、強烈に「この人だ!!!!」と思い推すことに決めて早いもので3年半。
観劇できて本当によかったなと思います。

3年半、つまり遡ると19年夏。
だからまぁ、実を言うとABKAIの頃既に宮舘さんに落ちてはいたんですけども。
そして19年秋っていうとコロナ前なんですけども。
その時はね、行かなかったんですよね。
行かないことを、選んでしまった。
今にして思うと本当に有り得ないんですけど、その時の私は行かないことを選んでしまった。
めちゃくちゃ後悔したし、宮舘さんを好きになればなるほど悔やんでも悔やみきれなくて。
だから、何がなんでも今回だけはって公演が決まった時からなるべく仕事の調整が利きそうな日だけ狙って申し込んで。
ありがたいことに、観劇してきました。



何度見ても市川團十郎の御名の隣に宮舘さんのお名前があることに感激して。
筋書に載った白塗りのお顔の美麗さに感動して。
幕が開いた瞬間からクライマックスを担う義仲様で涙を流した。




開幕と共に木曾義仲という源氏の若武者が平氏を相手取り圧倒する。部下たちが「大将だというのに単身で乗り込まないでください」と制しても「大将である俺自らが先陣を切るからこそ数に打ち勝てるのだ!」と更に自身を巻き込んで味方を鼓舞する。
勇猛な若武者が華々しく殺陣を繰り広げ、「いざ、いざいざいざぁ!!と平家の兵たちをばったばったと倒していく様は圧巻だった。
雄々しい殺陣、華々しい見得切りの連続。
木曾義仲という人が、華と威光を放ち、見る人を圧倒していく。
こんなところを見せられては、単身で先陣を切るその行為を無謀だなどとは言えない。
ご自身が言う「俺が先陣を切るからこそ」という言葉が大言壮語でないことも理解できてしまう。

平家の軍を退けた後、義仲様が思いを馳せるのは亡き父、義賢。
場面は変わって、義仲様が産まれる前の時系列へ。



「平家にあらずんば人にあらず」

という有名な言葉にもあるように、平家が本当にやりたい放題していた時代。
それでも、いつか源氏の再興をと源氏の象徴である白の旗を隠し持っていたのが何を隠そう義仲の父である義賢。
病床に伏せる人、ということで紫の鉢巻をしてお召し物を着替え再び登場する宮舘さん。
もうね、びっくりした
既に観劇された方から聞いてはいたけど、義仲・義賢で声色と発声がまるで違う
勇猛果敢な若大将の義仲様は溌剌としてまっすぐな力強いお声。
対して義賢様は年と病によりやや嗄れた、義仲様と比べるとほんのりと歌舞伎寄り(?)なお話しのされ方。
節回しはまったくもって現代のソレなんだけど、声の抑揚が分かりやすい。
元々、私は宮舘さんの喉の使い方(抑揚により声が裏返るところとか)がすごく好きだったんだけど、あぁこんなに色気がある声色をしてらしたんだなと実感して何故か目が潤んだ。
あと、何よりもでかい
何故だろう、義仲様を数分前まで見ていたのに。
同一人物だと知っているのに。
甲冑を身に纏う義仲様に対し、義賢様は病床の男だというのに。
義賢様が、義仲様と比べて二回りほど体が大きく見えた
これは本当に何でだったのか分からない。
髪のせいか?とも思ったけど、討ち入りされた義賢様がざんばら髪で薙刀を持って登場する時より前から、最初に登場された時からずっと義仲様よりでっかく感じていた。



さて、義賢様は心ならずも平家に仕える身なれど、いずれは源氏の再興を、と目論む男。
そんな男の元へ平家の兵が大挙をなしてやって来ます。
病に伏せることさえなければ、傍若無人な振る舞いをする平家方に敵対してやる気でいたけれど、と無念を露わにする義賢様。
せめて、と自身の子をお腹に宿す妻の葵御前と源氏の象徴である白旗を託し、1人屋敷に残り討死の覚悟です。
葵御前さまを呼びつけ、小まん達と一緒に逃げろと命ずる義賢様と、夫である義賢様と離れたくないと泣き崩れる葵御前さま
源氏の未来のために逃げろと義賢様が諭すところ、本当に素敵だった。
義賢様は自身の死に場所を既にこの屋敷だと決めていて、けれど愛する妻には逃げ延びてほしいと願いを込めて「葵」と呼ぶ声の優しさ
呼ばれて顔を上げた妻へ別れを告げる「さらば」に滲む、避けられない妻との死別と産まれてくる子を見ることができないことへの嘆き
命をとして最愛の妻へ白旗を託す手
葵御前さまの肩をそっと抱く
その姿に、一人の男を感じて葵御前さまの涙に誘われ大号泣する私。
九郎助や小まんに手を引かれ、戻ることを許されず義賢様の屋敷を後にする葵御前さまのお顔が美しくてね……。



さぁ、ここからです。
ここまでで散々泣いていましたが、ここからです

葵御前さま達が逃げおおせた頃、平家の兵達が屋敷を取り囲み義賢様を殺そうと刀を突きつけます。
ここからはもう怒涛の義賢様。
スパンっと澄んだ音で襖が開いたと思うや頭から血を流し薙刀を振るう義賢様が現れ、大立ち回りに見得の連続
孤軍奮闘とはよく言ったもので、たった一人であるにもかかわらず平家の軍勢を相手取ります。
もうね、義賢様ほんとすっっっっっごい
事前に義賢最期について予習をしたら、どの資料を読んでも「壮絶」に尽きていて。
薙刀を持って殺陣をするんだけど、十数分前に同じ人物による刀での殺陣を見たからこそ、薙刀を使って敵をなぎ倒していく時の体の動きがまるで違うことが分かってしまう
特に上半身。
刀と薙刀ではリーチも刃の形も違うから、振り回し方が全然違うし、薙刀を振るった後は敵兵から刀を奪い取りそちらでもふんだんに殺陣をなさる。そのどちらとも、本当に圧巻で。
長さの違う武器を手に堂々たる殺陣を繰り広げるところも
見せ所の戸板倒しも
敵を圧倒する時の顔の強さも
そのどれもが、本来ならば源氏の再興のために平家から身を翻して力を尽くしたかった男の熱量が出ていて。
義仲様は若さ故の自信みなぎる殺陣なのに対して、義賢様は言葉の通りに死力を尽くす動き。
だから、見ている側にも勝手に力が入る。
戸板倒しの瞬間、客席のどこからともなく息を飲む音がしたのも。成功した瞬間の惜しみのない拍手も。
どれも、精度が高いからこそ送られる賞賛だったように思う。


次々と敵を倒していくも、敵の軍勢が減る気配がまるでない。
そして義賢様は病に冒される身。
敵を退けていくうちに響き渡る喘鳴。
やっとのことで飲もうとした水のひと口でさえ、敵兵に阻まれ叶わない。
義賢様が着実に死に近づいていることを、結末(討死)を知っていても肌で実感するこの感覚。
それでも敵を見るや刀を振るう義賢様の武士としての在り方に涙が止まらんわけですよ。
突如、背後を取った敵 (この人も所謂“赤っ面”でしたね。イヤホンガイドでは第二幕の瀬尾十郎が登場する場面で解説されますが、赤っ面=敵役(かたきやく)です)が義賢様を羽交い締めにします。
ここで義賢様、なんと、自身の体と共に背後を取る敵兵を刀で貫いてしまう。そのまま横向きに腹を裂き、遂に倒れてしまう義賢様。
「おのれ、推参なり」という言葉に込められた無念。
刀をついてまだ身を起こそうとする義賢様は、最期にまだ産まれぬ我が子へと思いを馳せます。
「ひと目見ることが叶わぬことが無念でならない」
「もし叶うなら、幼名は自分と同じ「駒王丸」と付けてやりたかった」
言いながら、死闘の跡が汗として滴りまくっているわけです。
顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、流しているのは汗だけなのに声だけで泣いている義賢様が凄まじくて。
決して涙を流してはいないんです。
けれど、声色は確かに泣いているんですよ
よく通る綺麗な声がありありと無念を訴え、その様に涙を流す客席。
その後、敵兵に討たれ刀を落とし、背中をギリギリまで逸らして仰向けから戸板の上へと倒れ込む動作があるのですが、この動作がね、本当に人が生きて息を絶やして最期を迎えているんですよ
この短時間で、我々は人が生きて、死を迎える様を目の当たりにしたのです。
カッと目を見開いて、戸板に背がついた時からだらりと手が力を失って放り出されながら幕が引かれる。
刀が手から離れた瞬間から息を忘れていることに、場面が変わって小まんの見せ場になるまで気づかなかった。
「壮絶」と解説にあった通り、生き様と死に様を立派にやり遂げる宮舘さんに心臓が痛くなる。
※ぶっちゃけ観てる時は「宮舘さん」とか関係なしに普通に見入っていたんですけど


舞台に幕が引かれ、場面は変わります。ここからは実盛様の登場です。
白旗を守り抜けと義賢様に言われた小まんは、逃げ落ちる時に一度平氏に奪われた白旗を単身で取り返しにきます。
小まんが平家の兵たちをシバいて(言い方が上手くないけど、シバいてたんです。言葉通りの意味ではないが(笑))、白旗を奪い返した後に琵琶湖へと飛び降ります。
波に呑まれてあわや、というところで実盛様によって助けられるのですが、運悪く小まんは平家の、しかも清盛の身内やお偉方が乗り合わせる御座船に引き揚げられてしまいます。
ここで実盛様の元へ清盛からの言伝で「腹に子を宿す葵御前が逃げ落ちたらしいから、忠義を確かめるためにもお前があの女を手にかけてこい」と言われます(実際のセリフはこんな嫌な言い方じゃないですけど、まぁ要するにこんな感じです)
それをやんわりといなす実盛様の言葉の言い回しがすごく綺麗で聞き惚れちゃったんですよね。
実盛様も、元は源氏方なれど今は平家に仕える身の上(しかもちゃんと立場がある人)。
小まんが白旗を持っていることを知ると何とかしてあげたいと内心では思うのですが、平家の権力者たちが乗る目の前で小まんを助けたりなんかしたら明確な裏切りになってしまう。
平家の人たちは当たり前ながら「白旗」の存在を許すわけがありませんので小まんから白旗を取り上げようとするのですが、ふと思い立った実盛様は小まんの腕を切り落としてしまうのです。
ここは小まんの強くも女性としての美しさが光る場面と、実盛様のかっこよさが見えるところですね。
そして自らの腕と白旗を追って琵琶湖へと身投げする小まんを見つめ、何とかしてやりたい旨のことを零す実盛様(途中で聞かれていたらと口元を隠す仕草まで本当にお綺麗!!!!)
ちなみに、小まんの腕が飛ぶ場面ですが後から平家のお偉方が扇子でお顔を隠して物騒なものを見ないようお顔を背けていらっしゃることに気づき、いつからあの仕草をしていらしたのか見られなかったのが若干の心残りです。
たった一度の観劇でそこまで全部を見ることは叶わないんですけどね(涙)


さぁここまでで一幕が終わりです。
幕間にお弁当をいただきながらイヤホンガイドに耳を傾けていると、このイヤホンガイドを務めてくださった方がSnow Manのファンに対してコメントを下さいます。
Snow Manのファンは、慣れない歌舞伎を観劇するにあたってお勉強しようとする意欲がすごい」と。
そうか、この感情は偉いと賞賛されるようなものだったのか、と驚いた。
知らないところ、詳しくないものに触れるに当たり最低限のお勉強をするのは当たり前のことだと思っていたから。
詳しくないと分からないもの、というのはどの世界にも存在する(現場でのお約束や“流れ”や、歌舞伎だったら特有のセリフ回し、義太夫さんの節に合わせたお芝居もそれに当たりますよね)。
だけど、分からないからって遠ざけられない自担の晴れの舞台、自担が掴むに至った挑戦で。
分からないなら分からないでいいや、と開き直って知らないまま見るにはあまりに勿体ない伝統芸能で。
歌舞伎に限らず、知らないものならまずは知るところから始めるというのはある種の当然だと思っていたのでびっくりした。
そして、嬉しかった。
私も仕事の合間にお勉強した程度でさほど明るくはなかったけど、予習したおかげで次の展開、その場面でどのような意図の台詞があるのか分かって安心することができたし。
あぁ、手探りでやってたけど間違ってなかったんだなと。
一幕、その渦中で自分がやりたいと望み続けたものを今まさに中心になりやっている最中であるという実感を得る宮舘さんがいたのだなぁ、と。
噛み締めて、ごはん食べてる最中なのに目が潤んで。
※一幕で引くくらい泣いてたのでもうとっくに涙は枯れたものと思ってたけどまだまだでしたw



二幕はタイトルにもなっている実盛様の物語です。
小まんが腕を落とされた後の時系列。
一幕の最後で実盛様が葵御前さまの元へと向かわされることになったので、勿論舞台は葵御前さまがお逃げになった九郎助夫婦(小まんの親)の家。
小まんの息子である太郎吉が「俺が捕ったぞー!!」と可愛い声を弾ませながらお家へと帰ってきます。
太郎吉の手を引く九郎助の表情の優しさ……!
太郎吉を演じる男の子、声の通りと緩やかな声の緩急が綺麗で、台詞を聞くのが楽しかったです。
不審な腕を釣り上げた、という珍妙な出来事に首を傾げていると、そこへやってくるのが斎藤実盛と瀬尾十郎の二人。
瀬尾十郎を演じていらっしゃるのが九團次さん!!
ドラマ等で何度も拝見している方の歌舞伎だ!!!!と胸が熱くなりました。
第一声からね、お声の重厚感と言いますか、何せもうとにかくカッコイイのです……!

実盛様が言いつけられた命は「葵御前が近々子を産むらしいから、それが男なら殺せ。女だったら見逃していい」とのこと。
実盛様と瀬尾に「葵御前さまは男も女も産んでない、産まれたのは片腕だった」と太郎吉が釣り上げた腕を見せる夫婦。
ちなみに実盛様は何とか目を盗んで源氏の味方をしたいので男だったとしても見逃すつもりでいました(九郎助夫婦は知る由もありませんが)。
腕を産む女なんているわけないだろうと瀬尾が怒りを露わにすると、誤魔化そうとした九郎助夫婦を汲んだ実盛様が「どこぞには鉄球を産んだ女もいたと聞くから腕くらい産まれる」と諭します。

文章にしてみると「何やその話は」と言いたくなるような突拍子もないやり取りなのですが、いわゆる古典歌舞伎を見ているのが楽しくてその辺りはどうでもよくなってくる(いつの時代にもご都合主義というものはあったんだなぁ、とは思った)

ちなみに、ここでイヤホンガイドさんが滋賀県にある“手原”という地名は、手を産んだ女の伝説に由来するものである」という説明をしてくださいます。
実を言うと私は滋賀県出身でして。
一幕の御座船の場面で舞台となった竹生島も、小まんのモデルとなった「おとせ」さんの出身である堅田も、ここで出てくる手原も、非常に馴染みのある地名です。
舞台上で繰り広げられる物語を追いながら、「えっ手原ってそんな名前の由来がある地名だったんですか!!?」と動揺してみたり。
一幕の緊迫感溢れる場面で「竹生島って今はパワースポットって紹介されたりしてるんですか!!?」とか、イヤホンガイドさんと脳内で会話をしながら見る始末。


瀬尾十郎をなんとかやり過ごして(そうか?)帰らせたあと、実盛様は「この腕には見覚えがある」と話し始めます。
ここからは実盛様の見せ場。
一幕の御座船の場面で起こった出来事を、九郎助夫婦に話して聞かせる場面です。
ここの実盛様がまぁ〜〜〜〜〜美しい
というかね、表情が色っぽいのですよ。体の動きも見入ってしまう。
あぁ、歌舞伎とはこういうものなのだな、というのが分かるのが二幕なのですが、実盛様の舞うような動き(ここ、座ったままで上半身のみ舞っていらっしゃいました)が本当に素敵で。

ただ、事実とはいえお話しする内容は非常に残酷です。
九郎助夫婦と太郎吉の前で、「私自らが小まんの腕を切り落とし海へと投げ捨てました」と話すわけですから。
平家の役人であることを承知の上で九郎助が憤るんですけど、悔しさを滲ませながら実盛様のことを「さねもりぃ!!!!」と呼び捨てて娘のことを嘆いた後に、我に返るように再び「実盛様」と呼びながら頭を垂れる場面、涙無しには見られません。
そこへ、九郎助夫婦の元に地元の漁師たちが小まんの亡骸を運んできます。
小まんの亡骸にしがみつき「いい子になるから起きて」と泣きじゃくる太郎吉。
そんな太郎吉を見て「体から切り離されても尚、白旗を掴んで放さなかったあの腕にはきっと小まんの魂が宿っているに違いない。くっつけてみたら一時的に意識を取り戻すんじゃないか」と言い出して小まんの腕をくっつけます。

「ンなわけ」と言いたくなりますが、歌舞伎で亡霊が出てくるのはよく聞きますし会話することもあるんですから一時的に人が生き返るのも少なくはないのでしょう。知らんけど。

見事に生き返った小まんは、葵御前さまと白旗の無事を知り安堵します。
最後に太郎吉に何かを伝えようとして息絶えますが、その内容を察した九郎助が「実は小まんは拾い子で、平家の武士から生まれた娘なのだ」というまさかの出生を話し出すのです。
小まんは平家に生まれた人でありながら何の経緯か捨てられてしまい九郎助夫婦に拾われて、源氏の再興を目指す男(折平)と結婚し、太郎吉を産み、義賢様から白旗を預かり葵御前さまを逃がした人、ということになるわけですね。
小まん……何て壮絶な人生を歩んだ女なのですか………!!;;
最後の最後まで白旗を守ろうとした小まんと、腕をくっつけられて生き返るや否や「御台様
(武士の正妻、ここでは葵御前さまの意)はご無事ですか!!!」と死の境地においても忠義を尽くした姿が魅力的でなりません。
これがバレたらどこから彼女の命が狙われてしまうか分からないから、と今の今まで黙っていたことを明かす九郎助。
と同時に産気づく葵御前さま!
展開が早い!!!!!
小まんの生涯に思いを馳せる暇もなく葵御前さまがいよいよ義仲様をお産みになります。
九郎助夫婦が葵御前さまと共に奥のお部屋へ入られて、舞台上には実盛様と太郎吉の二人きり。
太郎吉は子どもなので、何が起きてるのかイマイチ分かっておらず襖の隙間からこっそり葵御前さま達を見ようとします。
それを実盛様が見咎めて「お前は縁側に座っていなさい」と連れて行くのですが、諦めない太郎吉!
そして再び連れ戻す実盛様!!
二度目の太郎吉に向かって実盛様が「今度立ち上がったら「つねつね」するぞ」と太郎吉のぷくぷくのほっぺたを優しく摘んで言うんですよ。
分かります?「つねつね」ですよ?
つねつね…
つねつね………
イヤホンガイドで二幕が始まる前後に実盛様の解説があるのですが、「この当時の実盛は40代、今で言う「イケおじ」です」とハッキリ言われるのです。
「ほぉ…イケおじとな………?」と頭の片隅に置きながら見るのですが、そこでこの場面ですよ。
現代風に言うとイケおじが子どもに合わせて敢えて幼い言葉を使っているわけですよ。
そりゃもうギリィ..って奥歯強く噛み締めましたよ。
そんな…可愛い……!!!

そうこうしている内に義仲様がお生まれになります。
義賢様は終ぞ我が子を目にすることなく逝かれてしまいましたが、実盛様はどんな因果か結果的に義賢様の遺志を継ぎ、彼に「駒王丸」と幼名を授けました。
そして、太郎吉には彼をお守りし、彼が成人した暁には共に兵を挙げる右腕になりなさい、と。
ただ、これで丸く収まるかと思いきやそうはいかない。
何故なら小まんの出生、そしてそれに付随するように太郎吉の出生も明らかになったからです。
葵御前さま曰く「太郎吉は平家方の女の息子。もしかしたらいずれ謀反を起こすかもしれないから、何か大きな武功を立てないと信用し息子の腹心にすることはできない」とのこと。
見ている側からすれば、死してなお白旗と未来の源氏の大将になり得るお腹の子を思った小まんの子だから……と諌めたくなるところなのですが、親と子が同じ志しを抱き続けるとは限りませんし、正直なところ葵御前さまの仰ることもご最もです。
そこへ割り込んでくるのが、いなくなったはずの瀬尾十郎。
なんと瀬尾、屋敷を出て帰ったと見せかけてこっそり全ての話を聞いていたのです。
話は全て聞かせてもらったよ」とばかりに登場した瀬尾は、(源氏側からすれば)大義を成した小まんの亡骸を蹴り飛ばす。
悲しい死を遂げた母、その亡骸を足蹴にされたのを見た太郎吉は、母が懐に持っていた遺品の小刀で瀬尾に奇襲を仕掛け、なんと腹を刺してしまいます(!!!)
子どもの復讐を受け、瀬尾十郎は。
太郎吉が握る小刀を上から握り込み。
なんと、更に深く自らの腹へと刺し込むのでした


こっそりと話を聞いていた瀬尾十郎、実は彼こそが小まんの実の父親です。
な、なんだってーーーーーーっ!!?!?
話は全て聞かせてもらった瀬尾十郎、自分という、実盛より更に身分が上の平家の武士を殺したということをそのまま太郎吉の武功とし、これを信用に替えてやってはくれないかと進言します。
そうして、自らの刀を太郎吉に握らせて首を落とさせるのですが、ここも考えれば考えるほど苦しくなる場面なんですよね。
瀬尾の身でものを考えると、訳あって棄ててしまった娘が源氏の象徴を身を賭して守り抜き非業の死を遂げ
その娘が産んだ子が、母子にわたりそれを守り支えようとしていて。
ただ娘が平家(自分)の子であるという出生により信用が彼女の死後にガタ落ちしたわけです。
親が自分である、ということが理由で
自分の子も、孫も、警戒される立場に立たされてしまったことを、見てしまったのです。
そこで瀬尾は、平家の武士として源氏側に与する娘の死体を足蹴にし孫に自らの命を取らせることで信用してもらうという行動に出たわけです。
棄ててしまった自分の娘とその息子(孫)のため、自分のことを殺させるために娘の死体を蹴飛ばした瀬尾の心中を思うと叫びそうになります。
太郎吉が、瀬尾のことを母の実父であるとは全く理解しないまま瀬尾の首を落としていた様子なのもまた…嗚呼……。
でも太郎吉が瀬尾を自身の祖父だと分かって、自分に武功を作るため討たれるのだと理解して首を落としても自作自演になると葵御前さま達にも分かってしまうからなぁ…。太郎吉は何も知らないまま「母を足蹴にした平家の武将を殺した」と思いながら瀬尾の首を落とすことが正解だったのかもしれない……;;

それほどまでに源平の対立というものが激しく、また忠心を示すのが並大抵のことではなかったのだということがうかがい知れます。


瀬尾の首を落とした太郎吉は、続いて実盛様に対しても「母の仇!」と倒そうとします。
実盛様はそんな太郎吉に向かって「お前のような子どもが私を殺しても、何か裏があると勘繰られて武功にはなり得ない。だからお前が駒王丸(義仲)の右腕として共に成人し、いずれ挙兵した暁にはこの首を差し出そう」と提案します。

こうして一幕の始まりである義仲様の戦いに繋がるのですが、いやぁ、もう実盛様の美しいこと………。
目がね、とにかく美しいんですよ。涼しげな目、視線の動き、太郎吉を見つめる穏やかさの中に、自分を仇として討つ決意を固める事への諦観というか、それが在るべき筋であると受け入れているような。
義賢様も小まんも瀬尾十郎も、そしてこの実盛様も、いずれの大人たちも皆一様に「次の世代を生きる子らのため自分の為すべきことの為に命を燃やす」人たちなわけです。
そんな人たちに守られて育ったのが義仲様であり、彼の右腕である手塚太郎光盛なのです。
19年のABKAIを観ていたなら、多方面からの加護を受け立派に成長した義仲様(だて)と太郎(あべ)が時代を傾ける立役者となる様を見届けることができたのだろうなぁとぼんやり思いました。




最終、三幕は時代が一幕のものへと戻り、駒王丸を抱く太郎吉が戸板を隔てたその瞬間に義仲様の隣に膝をつく手塚殿となっているのです。
この場面、割と角度のある席から見ていたのですが普通に戸板の裏、見えませんでした。技術が凄まじいです。
一幕でもあったように、倶利伽羅峠の戦いにて義仲様率いる源氏の軍は平家の軍を圧倒していきます。
義仲様はもちろん、彼に仕える手塚殿をはじめとした四天王の皆様も殺陣に加わり。
そしてもう一人、義仲様の元へと駆けつけてくる姿があります。
その姿こそ、巴御前さま、その人です。
あのねぇ〜〜〜〜〜これは本当に個人的な話なんですけど、私が史実の巴御前さまが本当に大好きでして
筋書を読んで三幕に登場なされる(そして小まん役を務めていらした中村児太郎さんが二役目で演じられる)ことを知っていたはずなのに、巴御前さまが登場なされた瞬間に感激でテンションが1.5倍くらいになってしまいまして。
義仲様の、現代で言うところの幼馴染みに当たる関係の巴御前さま。
女の身でありながら武芸に秀で、SANEMORI内の台詞でも語られたように幼少の頃より義仲様と共に鍛錬を積み、史実では義仲様に最後まで付き従い共に戦いの場に立った一人でもあると語り継がれる女武者です。
巴御前さまが、私が大好きな巴御前さまが、忠義を尽くした義仲様の前に助太刀に来たと膝をつく
その行為を「差し出がましいかもしれない」と告げる巴さまに「幼い頃より共に野山を駆け回ったお前なら 」と喜んで受け入れる義仲様。

義仲様が刀を、巴さまが薙刀を駆使して平家の軍に立ち向かい、花道にて互いの背を預け合いながら見得を切る様を目にして心の底から感激と涙が止まりませんでした。
なんて凛々しい義仲様と美しい巴御前さまの姿なのでしょうか。
平家の軍を退け、「この戦は我らの大勝利である。勝ち鬨を上げよ!」と高らかに声を張る義仲様。

一幕、二幕と、彼らと彼らが成す源氏再興のために命を尽くした人達を思いつつ、今を生き抜く若武者たちが力強く勝ち鬨を上げる姿に胸を打たれます。



さて、この倶利伽羅峠の戦い
そして(史実では)それに次ぐ篠原の戦いにて義仲様の軍は実盛様を討ち取ります。
そう、実盛様からすれば正に「時は来た」のです。
彼らが生まれた頃に実盛様はこのように残しました。
お前たちが成人した頃、自分は年老い白くなった髭と髪を黒に染めて戦いの場に出る。坂東訛りの武将を討ち取ったなら池で首を洗いなさい
幼い太郎吉が成長したら仇を取らせてやると宣言した実盛様は、その約束を守るため墨を刷り、髪と髭を染めていました。
一方、成長した義仲様と手塚殿は、今や実盛様に対して敵意や憎しみを感じてはおらず。
むしろ幼い命を助けてもらった恩人だからと実盛様を落ち目の平家軍から源氏の軍へと戻ってこないかと進言します。
実盛様は断固として拒否。
軍勢がどうあれ、鞍替えする気はない」と義仲様を突っぱねます。
三幕は、成長を遂げた若武者たちが実盛様の言葉の真意を正しく推し量ろうとする話でした。


そんな折、義仲様と共に育った手塚太郎光盛(太郎吉)が、一人の大将首を取ったと持ってきます。
ただ、その武将は何やらおかしな様子だった、と。
身なりからして位のある武将のはずなのに部下の一人も連れておらず、名を名乗りたがらない。そして声には坂東訛りがあった。

手塚殿の話を聞いて「実盛のことかもしれない」と思うに至る義仲様のお顔の変化がとても素敵でした。
顔がゆっくりと横へ向き、視線が耳の方へと少しずつ動く。
受けた情報を咀嚼して自分の持つ記憶と重ね合わせその光景を自分の中に造り上げる時の目線の動きが細やかで。
切れ長の義仲様の視線が僅かに動く様がよく見えるのですよ!!ここの芝居がね!!!堪らんわけですよ!!!!!
討ち取った首を扇子越しに見つめる様も美しいんですよ!!
雄々しさの中に所作の美しさ、繊細さもあって。
ここはもう終始、義仲様の目のお芝居が堪らなく素敵です。

捕らえた平維盛より「その首は実盛だ」と野次が飛ぶ。
実盛様を助けたい義仲様と手塚殿はそれを聞き入れようとはしないけれど、首を洗ってみると墨が流れ落ち白髪と白髭が露わになるのです。

実盛様は一幕の最後で平家の方々にいただいていた直垂を付けて戦場へ赴いていた。
義仲様の「こちらへ来ないか」という進言を蹴り。
手塚殿とのかつての約束通り、髭と髪を黒に染めて。
二幕の瀬尾もそうだったんですけどね、この話に出てくる大人たちの覚悟が強いのですよ……
「平家の武将として源氏の若者に討たれること」を良しとしている、その覚悟。
実盛様は平家方にも恩のある人なので、おいそれと裏切る事もしたくない。
一方で、元は源氏の人間という、難のある立場の人で。
「自分が実盛様の顔を見忘れるなんて……」「一言、名乗ってくだされば命をお助けしたのに」と、実盛様の首を取った張本人である手塚殿は悔やむ。
そんな若者たちの後悔を拭い取るのもまた、実盛様なのです。
どこからともなく聞こえてくる実盛様の声。
演出上は紗幕越しに死後の実盛様が義仲様や手塚殿に語りかけます。
その程度で揺らぐとは、まだまだだなぁ、と。
狼狽える若者を老獪に笑う様の色っぽいことよ……。

実盛様の死を悼む義仲様たちの顔つきがね、その前後で少しだけ違うんですよね。
これは単なる贔屓目かもしれないけど。すごくシャッキリとされて美しい。
実盛様の命、人生の在り方とこの源平の乱を重ねて感慨に耽ける義仲様が、維盛の命を取らず都を追い出す選択を取るのもまた色々と込み上げてくるものがあります。


そうして平家が都落ちして京を離れ、源氏の軍が京へと入ります。
四天王、そして巴さまが京へ向かう中、舞台上に一人残る義仲様が、白の大旗を振る。
それは源氏の象徴である白旗とは別の、私たちが「旗」と言われて想像できる形の旗なんですけど。
大きく躍動しながら、自分たちの存在を見せつけるように力強く旗を鳴らして、振るんですよ。
この姿をこの方を、この舞台が始まってからずっと色んな人達が守り抜いてきたのだなぁと思うと涙がね、本当にどれだけ泣いてんだって話なんですけどね。



本当に良いものを見せていただいたなぁ、と思うんですよ。
これは私の中での感覚なんですけど、大人が魅力的な作品って良い作品なんですよ。
今回のSANEMORIにおける義賢様、実盛様、そして瀬尾十郎。
彼らは皆自分が守りたいと思うもののために命をかけて、自分で死に場所を決めてその人生を閉じた人たちなんですよね。
まぁ、この辺りは捉え方とか色々とあるとは思うんですけど。
特に実盛様は、幼い頃に手を差し伸べ命を助けた若武者たちを死してなお見届ける立ち位置にいらっしゃって。
私は、あの時代っていつどこで誰が死んでもおかしくない頃だと思ってて、だからこそ自分で死に場所を決めてその通りに命を尽くすことができるのってある種の天寿まっとうだろうと思うんです。
もちろん、義賢様は生きて自ら白旗を掲げたかっただろうし、瀬尾十郎に至っては元々あそこで命を落とすつもりは毛頭なかっただろうと思うんですけど。
ただ、大人たちが「」「忠義」「覚悟」をでかでかと掲げて生きて死んでいくのを見るとね、胸を打たれてしまうんですよ……。

しかもそのうちの一人、自担が演じているんですよ?


そう、カーテンコールまで極力意識しないようにしていたんですけど、義賢様も義仲様も宮舘さんが演じてらしたんですよね
まぁそりゃ、やっぱり自担なので。
他の誰にも替えのきかない魅力があるなと思いながらずっと応援しているわけですよ。
それなりに、自分の中で自担の好きなところとかさ、言語化してきたつもりなんてますよ。
それでも、あぁこの人はこんなに素敵な人だったんだなと気づいたし。
体力、身体能力はもちろん、表情管理とか目力の使いどころとか、足さばき、手の開き方、どれをとっても素晴らしかった。
名だたる方々に囲まれて、世界観を崩さないどころかその中心に立っているんですよ。
これが、宮舘さんがやりたかったことで、今この瞬間の宮舘さんは自分がやりたいと願ったことを正にやっている最中で。
それができるのって何にも変え難い幸せだと思うんですよね。
カーテンコールで万雷の喝采を浴びる姿を見て本当に嬉しくて。この人を好きでいたからこの公演を観るに至ったけど、そこでこんなに幸せの渦中にいる好きな人を見届けることができてこっちもやっぱり幸せだったんですよ。
宮舘さんが20代のうちにこうして大きな和物のお仕事ができてよかったなぁと思うし。
それがこのSANEMORIで、再び義仲様となって舞台の上に立ち、また義賢様の人生もまっとうされたことが私は本当に嬉しく思います。

余談ですが今の宮舘さんの年齢が、ちょうど倶利伽羅峠の戦いの時期の義仲様と同い年くらいなんですよね。
私は木曾義仲という男と宮舘さんは非常にシンパシーのある人だと思っていて(SANEMORIの内容に限らず、史実に残る話でも、という意味です)、宮舘さんご自身も似たところがあるとお話しされていましたが彼もまた情に厚い方であると伝えられているんです。
中でも私は巴御前さまが大好きなので、この二人の別れ際のね、エピソードがね、本当に良いのです……。
今後、それを鮮明に宮舘・義仲様中村・巴御前さまで想像できてしまう辺り自分も中々に罪深いなぁと感じてしまいました。



あと、これは備忘録も兼ねて書き残しておきます。
私が観劇した1月19日、同時期にラウちゃんがパリコレでランウェイを歩いていたんですよね。
日本でかつて時代を動かした男を板の上で演じる宮舘さんが新橋演舞場に立っていたのと同じ頃に、ラウちゃんは現代のパリの地で自ら時代を動かさんと戦略的自己プロデュースをしていたのかと思うと感無量と言うか、改めて私はとんでもねぇグループのファンなんだなぁと実感した次第でした。

デビュー4年目も、更に各々の活動が花開き、揺るぎないものとなってくれたら良いなと思います。

面白いってのは強いってこと

9月10日夜、自担は戦っていた。

我々オタクは昼過ぎからアクスタ戦争とかいう回線の取り合いをしていたが、その夜、自担も身を切るような戦いを繰り広げていた。


その舞台が生放送『ラフ&ミュージック』の企画のひとつである“生IPPONグランプリ


これにSnow Manから康二と阿部ちゃんと宮舘さんが出ると聞いた時、本当に申し訳ないが「正気か?」と思った。
生放送で大喜利やるっていう事実、そこにアイドルをぶち込むという所業。
形式は本来のIPPONグランプリと同じで。
個人戦ではなくチーム戦で。


正直に言わせてほしい。
マージで怖かった。
「絶対に面白くなる!」なんて口が裂けても言えなかった。
Twitter上では言葉を選んで前向きな感じにはしてたけど、実際のところは本当に震え上がってました。



マジで頼むから、事故らないでほしいけど事故ったとしてもずっとニコニコしててほしい。

基本的にはこの一心だった。


私、今でこそジャニオタですけどジャニオタになる10年以上前からずっとお笑いが好きなんですよね。
特に大喜利って大好きで、IPPONグランプリとは違う形式ですけど私が好きな芸人さんが主催してるでっかい大喜利ライブは何度もチケット買って足を運んだりもしていたわけですよ。
リアルタイムで大喜利やるのを見せるという行為がどれほどの緊張感があり、どれほど怖いものなのかというのは少なからず分かっているつもりだったから。
それをTVショーでやる。
しかもそこに自担を含む私が応援してるアイドルが出演する。
これを手放しで喜べはしないんですよ。

まぁ表向き不安だ心配だって大声で言うのはナンセンスだと思ったから黙ってたけど。
内心はずっっっっっとガタガタ震えていました(笑)



で、当日。
夜。
正直、最後の最後まで本当にハラハラしながら25回くらい気分が悪くなりながら、最後までちゃんと見た。

結論だけ言うと、とってもよかったと思った。
よかった、の中には色んな意味が含まれてるし、そう思うに至る過程の中で3回くらい過呼吸手前くらいまでいったけど。


アイドルが生放送で、体当たりで大喜利に取り組んでいるのを見る


という点において非常によかったなぁと思った。





私、あの企画ってぶっちゃけ芸人アイドルどっちともに中途半端に優しいけど雑に優しくないなぁとずーっと思ってて。

芸人側としては「平場やネタは面白いけど大喜利は苦手」という肩書きで参戦“させられた”形で、始まる前のフリでも「まぁ言うてもアイドルには負けないでしょ」ってハードルを上げられ、見てる側としてはイップスになってるのがまる分かり(冗談で通じる範囲を超えたガチのやつ)な状態で、リアタイしながら「(あの感じだったら何言っても面白みがワンダウンするんじゃないだろうか……)」と懸念があった(実際フラットな状態だったらもっと面白く聞こえたものもあったように思う)(これはあくまでも個人的な話)。
ただ、「本当は面白い人たちの面白くないところが垣間見える」という面白みを(前向きにでさえなく)提供するという構図は、申し訳ないけどやっぱり笑っちゃうんですよね。
事故ってるのを面白がれる。
事故るって言うのもどうかと思うけど。
転んでも成立する人たちだったと思う。何故なら平場でのトークとかが面白い人たちだから。



対して、Snow Manさん達って真逆なんですよね。
本職じゃないところに参戦してきて、正直それだけでも印象的な風当たりはキツくなる。
ただ前フリとかは芸人側にフォーカスが当たるから「ウケなくて当たり前」というスタンスではい続けられる。
かといって、一方で本当に滑り散らかすと「じゃあ何しに来たの?」ってなりかねない。
滑って当たり前という保険こそあるけど、それを適用し続けると二重の意味で面白くない。
本当に滑り散らかしっぱなしで終わっていい、わけがない。
何なら展開的に1番面白いのは芸人側が負ける(※Snow Man側が勝つ、ではなく、芸人側が負ける)ことだから実のところめちゃくちゃ頑張らなきゃいけないし、頑張るってことはホームランを打たなきゃいけない
芸人サイドよりハードルは低く設定されてるだろうとは思うけど、それ故にちゃんと戦わなきゃいけない。
※忖度はない、という表現はされていたし実際に忖度があったとも思ってないけど、評価するのが人である以上「芸人の回答」「アイドルの回答」という受け取り方はするだろう、という意味合いでの「“潜在的な”ハードルが低い」という表現です


芸人側もSnow Man側も、“仕方ない”が付き纏い始めた瞬間に色々と終わっちゃうみたいなとこあったから、そういう意味でもハラハラした。
大喜利なんて特に個人だけでなく周りの回答が別の人の回答に影響するなんてザラだから。



正直イップス状態になってる芸人3人を見て、お願いだからSnow Manさん達は元気に滑ってくれと願い続けていた。
ウケないにしても落ち込んだり恥ずかしがるところを見せたりは絶対にしないで
滑るにしても元気よく果敢に滑って、その後でもう1回滑る可能性に飛び込んでほしいなー、と。
何ならそれができる3人を意図的に選んだんじゃないかと勘繰ってしまう面子だったから、そういう意味でも。




結論、私が望んだ分はその通りに頑張ってチャレンジし続けていた3人は本当に凄かったと思う。
私がリアタイした時は私自身ずっと胃が痛くなりながら息切れしながら見ていたからバイアスかかってるかもしれないけど、本当に空気がずっと怖かったから。
テレビ越しに見ている他人の私でさえ怖かったんだから、実際その場にいる3人は比じゃないくらい緊張したと思う。
それでも怯まなかったのってそれだけでも凄いと思うし、めちゃくちゃかっこよかったと思う。

大喜利の回答、単体で見たら別にそんな面白いものが両チームとも多かったかと言われたらそんなわけでもないんだけど。
あと私、お笑いについて「これはこうだった」「あれはああだった」って人と感想を話すのは好きだけど、“評価”っぽく聞こえること言うの本当に好きじゃないので、芸人サイドに関する言及はしないつもりです。
陣内さんだけは本当に“大喜利脳”ではないんだなと思いました、くらい



ここからはドルオタとして自担たちをめちゃめちゃ贔屓目で賞賛しまくるターンに入るので「一介のドルオタの戯言」だと思ってもらえれば。


まず、康二。
生放送バラエティで大喜利やるという点で、多分マジで康二だけは“期待”されてる部分があったし本人もそれを感じたりしてたんじゃないかと思っちゃう。
立ち位置的に先陣切らなきゃだし流れ悪くもしちゃいけないしというプレッシャー、あったんじゃないかな。
それでも1個目の回答からウケるorウケないは別として、ちゃんとした大喜利の回答をずっと持ってき続けていたのはシンプルに“腕がある”んだと思った。
あと本当に空気が地獄だった序盤で果敢にトークにカットインしてくれたのも見てて助かった(現場的にどうだったのかは知らんけど、見ているSnow Manのファンとしては非常に助かった)。
多分、私がギリ正気を保って見届けることができたのは康二がいたから。
ていうか、全体的に1番「大喜利」の回答してたなぁっていう印象。そこは関西Jr.時代に(ガチかどうかは置いといて)そういう機会を持っていたのは強かったんじゃないかな。
康二の地肩の強さを見た気がした。


次に、阿部ちゃん。
阿部ちゃんの回答はね、正直1番「あぁ〜〜〜〜〜大喜利やろうとして失敗する人がよくやるやつぅぅぅぅぅ!!!!!!!」って感じだった。
なまじ頭がいいだけに、「面白く答えよう」として捻った結果いきすぎる、みたいな。
ZAZYの回答だけは本当に色んなものを“超越”してしまっていたけど、それ以外は「1日寝かせて、リアルタイムの空気から見てる側が離れてしまえば面白く映る」回答だったかなーって思った(実際、後で見返した時は面白いなって思うものも多かった)。
ずっと元気よくハキハキ答えてくれていたのは「アイドルが大喜利やってる」というのが見やすかったように思う(私だったら絶対に途中で心が折れてたけど、本当はそうなってたかもしれないけど、おくびにも出さなかったのは素直に凄い人だなと思った)。
阿部ちゃんが今後やりたいかどうかは別として、何となくコツさえ掴んで回数こなせば大喜利上手くなるだろうなーって思った。阿部ちゃんが今後も大喜利やりたいかどうかは別として。


最後に、宮舘さん。
これはどうしても自担への贔屓が入ってしまうんだけど、正直言って私こんなに大喜利できる人って思わなくてめちゃくちゃびっくりした
常々、宮舘さんのことは面白い人だって言い続けてきたけど、大喜利」というコンテンツにはハッキリ言って不向きな人だと思ってたから。
放送後にツイートしたけど、大喜利ってアドリブ力めちゃくちゃ大事なんですよね。その場の空気ってのもあるし、流れに乗って面白く聞こえるものとかもあるし。
ぶっちゃけ宮舘さんだけは滑っても面白い人だからと内心で保険をかけてるとこあったし序盤の回答とかはソッチ系だなーって思いながら見てたけど、お題が変わる毎に自己修正を入れて捻りすぎず面白く聞こえるワードをチョイスしてきたから本当に凄いなこの人って思った。





でもそういえばこの人ってそういう部分の空気を読んだり逆に壊したりは意図的にしていた事をふと思い出した。

"Snow Man向井康二は絶対】絶品箱根グルメをかけたクイズは白熱バトル!" - https://youtu.be/HrBLzgqMCQc

私、これの世界三大美女」のくだりで最初に宮舘さんの面白さに触れたんだったわ。
明らかに大喜利回答をしようぜみたいな空気感で、康二に寄せた回答だったりガチ世界三大美女だったり、ちょいちょい「お母さん」ネタを挟みつつ概ね思い当たるボケしろは出した後の大オチで海外にぶっ飛んだ回答を放り込んできた宮舘さんに惚れたの思い出した。

ただ、これを見てる人は宮舘さんの“舘様”の部分も分かって見てるから余計に面白く映るんだけど、先日の生IPPONグランプリの場は「そういうのじゃなかった」わけで。
序盤で1回大きめに滑った(“舘様”の空気感で乗りきった感はあった)後で、軌道修正してしっかりとした大喜利回答が出てきたのちょっと本当に惚れ直しちゃった……。



私の姉が、私の数倍くらいお笑いが好きな人で。
多分この人は生IPPONグランプリ見てるだろうと思い感想を聞いてみたら、めちゃくちゃ好意的な意見が返ってきて本当に嬉しかった。


言うても私がファンだって知ってるから「あんまり」と思った部分は言わないようにした可能性もあるけど。
ただ私が「よかった」と思った部分は外側の人から見ても「よかった」部分なんだと実感できてホッとした。
トーク部分だったり、合間のやり取りは芸人さん達が担ってくれた、というのも勿論でかかったと思うけど。
それでも大喜利対決」という点においては最善をやりきったと私は思う。
あとトーク部分で全体の空気感をあっためつつ大喜利の方にも脳のリソースを割いていた芸人さん達はやっぱりすごいんだなぁ、と。


要するに、面白いことに懸命に取り組む人が結局のところこの世で1番かっこいいんだなって思いましたという話です。


あ、ちなみに姉は宮舘さんのことを⬆の通りの評価してましたけど、私は仮に今後ラヴィット等でバキバキに鍛え上げられたとしてもガチ大喜利の空間にはいかんでほしいです。私の胃がもたないので(笑)

「“実写版”おそ松さん」が本当に実写化したおそ松さんだった

2022年3月25日。
自担こと宮舘さんの29歳のお誕生日。
そして。
映画「おそ松さん」の公開日。

https://osomatsusan-movie.jp/



楽しみと同時にすげー怖かった。

何せアニメの実写化。
ただでさえ有名なアニメ作品の実写化なんて誰しもが抵抗あるのに。
それで本当に無き物となっている実写作品なんて山ほどあるのに

スノのオタクで松は作品情報こそある程度は知ってるけど決して詳しくない私でさえ、発表された時は「何してくれてんねん」って割と本気で萎えた。



個人的な見解だけど、アニオタが実写を嫌う理由はたった1つ。
色々と細かく書けば山ほど出てくるとは思うけど、結局のところこれに集約されると思う。
【アニメ作品を実写化する意義が見い出せないから】
例えば私がアニメの実写化と聞いて反射的に顔を顰めてしまう理由の大きいところは“再現度”が低いから
この“再現度”というのをどこに焦点置いて喋るかというのも意見の分かれるところだけど。
キャストのビジュアルイメージや脚本の展開だけじゃなくて、スピード感とか、やり取りとか、展開とかオチとか場面転換とか。
そういう、アニメ特有の面白さがある作品って私はあると思ってて。

実写とアニメのどっちが優れてるとかそういう話じゃなくて、単に「アニメーションだから面白いもの」というものは絶対に存在する。
そして個人的におそ松さんってそういうタイプだと思ってたし。

たとえビジュアルイメージが似通ってても。
脚本がイメージ通りでも。
アニメだったら声優さんが成立させている会話の間(ま)とか、アニメーションだから可能な動きだとか。
そういうのが実写化された時に刻み込まれたイメージと噛み合わないと瞬間的に萎える。
齟齬をきたすと別の粗を探してしまったり、違和感を引きずってしまったり。


そもそもアニメーションでちゃんと成立してて面白いものをどうして人力で再生しようとするんだ?


という根本的なところへ立ち返ってしまったりして。
実写でやろうとする意義ってどこにあるんだよって。
最終的にそこへ辿り着く。
だって原作アニメのファンって別に実写化されたとて得しないし。
アニメーションと声優さんのお声で認知してる“キャラクター”を“ヒト”のビジュアルと“その人の声”で再現されたものと同一視することを求められる。
それって何の意味があんのって思うのは当たり前だと思う。


しかもその実写化を担当するのがSnow Man
ジャニーズでちょっと前にデビューした若手アイドル。
その若手アイドルを売り出すためにアニメ作品を使った、という判断を、おそ松さんを好きなファンの人たちが瞬時に下したとしても私は言い返せないと思う。
何なら私だって脳裏を過ぎった。




ただ、言うても私はスノのオタクなので。
プロモーションは楽しく享受したし、公開日が迫るにつれ楽しみは増していく。
同時に不安を拭えなくて、ずーーーっと喉に小骨が引っかかってるような状態だった。
多分、大半の人がそうだったと思う。
楽しみ一色で公開日を迎えた人の方が圧倒的に少ないと思う。


ここでもう1つ、オタクがアニメの実写化を嫌う大きな理由を挙げる。

『自分が好きなそのコンテンツを大事にしてもらえるか信用できないから』

私は「原作リスペクト」みたいなワードがあんまり好きじゃないから上記のように言い換えたけど、まぁ要はこれです。
自分が原作アニメを見て感じた物事とか、好きになった経緯とか、好きな感情とか、そういうのを。
果たしてちゃんと大切にしてもらえるのかどうかってオタク的にすごく大事じゃないですか。

安易に「原作リスペクトしてます!大事にしてます!」って言われたとしても、ぶっちゃけ信用ならんよね。

だってパンピが思う「リスペクト」の認識と、オタクが求める「リスペクト」の認識って濃度が全然違うじゃないですか。
それがオタクのワガママであったとしても。
自分が大事に思ってるコンテンツを、自分が思ってるように大事にしてほしいじゃないですか。

“尊敬の念”とか“愛情”とか。目に見えなくて、「あります」と主張したらそこに認識のズレがあったとしても「ある“ことにしなきゃならない”」ようなものを。
「本当にそう思ってる?」ってうがった目で見てしまうのは当然の話。


そしてその認識のズレというのは、この場合はおそ松さんのファン側だけでなく我々Snow Manのオタク達も本当に怖いポイントだった。

佐久間氏がいるから慎重になってくれてると最低限の信用はできても。
「本当に大丈夫だろうか」という懸念はどうしたって拭えなかった。
疑ってるんじゃない。
彼らがすごく真面目で素直な人たちだというのはオタクやってて分かってるつもり。少なくとも、不実な人達ではない。
怖いのはその感情の方向性
オタクってすげー身勝手だけど。
ぶっちゃけ「大事に思ってる」「軽視してない」の向いてる向きが違ったら、それはそれで「リスペクトが足りない(私の求めているように愛してくれてない)」という事になりかねない。
その認識を、Snow Manはじめ制作陣がおそ松さんのファンの人たちから受けてしまったらどうしようって、そこが1番怖かった。

同時に、自分の好きな人たちが違う認識を正しいだろうと誤認して盛り上がっているような光景は見たくなかったし。
その齟齬によって、おそ松さんのファンの人たちから私が好きなコンテンツ(Snow Man)を大事に思ってもらえなくなったらどうしようって。
そういう気持ちも少なからずあった。

ひと言で言うと「そういうんとちゃうねん」って思われたら、正直なところ“実写化”としては成功とは言えないじゃないですか。
“実写化”つまり原作が他の媒体である時。元々の、その媒体でのファンの人たちが見てみて満足いくことが、究極「やってよかったな」とようやく言えるんじゃないのかなと。
私は思う。
そういうのの是非って、少なくとも実写おそ松さんの場合は原作アニメのファンの人たちが最後の判断材料になるんじゃないのかなと。



色んな意味でドキドキしながら観に行ってきた。

結論から言う。


実写の意義はあったし、ちゃんと面白かったからたくさんの人に見てほしい


何がどの角度からネタバレになるか分かんないからフワッとしたことしか言えないけど。
騙されたと思って見てほしい。絶対に後悔しないから。



これは一応ハッキリ言っておかなきゃなと思うから言うけど。
上映開始10分経過時点では「あ、これ終わったかも」って絶望感が出てきてた。
おそらく、ここは見た人の間ではおおよそ見解の一致だと思う(笑)
想像しうる最悪のパターンが過ぎったけど。
でもすぐにちゃんと面白くなる。
何がどう、と言いづらいのが難点だけど、でも「あ、これ終わったかも」と絶望したシーンもちゃんと前フリになって生きてくる
というか、その前フリこそが「これが実写化である意義」にもなってくる。

言い方が大袈裟だと、Snow Manのオタクの盲目だと言われても別にいい。
ただ、私は初めて有名アニメの実写作品を見て「面白かった」と思った
もしかしたら後にも先にもここまでの満足感は得られないかもしれない。
これは私がスノのオタクだからじゃない。
ストーリーが面白かったし、アニメーションの実写化だからやれる要素もあったし。誤解を恐れずに言えばおそ松さんだから許される展開もあったように思う。



アニメおそ松さんの実写映画化作品


としてめちゃくちゃ良いものに仕上がってたのは間違いない。

再現っていうか、ちゃんとおそ松さんしてたし実写化作品としての面白さがあった。
あと、映画のスケール感じゃなきゃやれない作品だった。



それくらい、良い作品だった。



だからといって別の誰かが別のアニメ作品を実写化しまーす!って言い出したら、その時はその時で「は?喧嘩売っとんのか」の感情にはなるだろうけどな!


楽しかったぜブラザー!!!

私は宮舘さんを舘様とは呼ばない

私は宮舘さんのことを“舘様”とは呼べない。


正確には、宮舘さんを見て「うわぁっ!!あっ、あぁ〜〜〜〜っ!!!だ、舘様だぁぁぁ…………………」と思うことはありますし。
たまに感極まってた゛て゛さ゛ま゛!!!!!!!って言う時もあります。
ただ宮舘さんのことを指して“舘様”とは呼べない。
なんていうか、私の中で“舘様”って呼称とか愛称っていうより“称号”だったり“肩書き”の意味合いが強いんだもの。

“舘様”宮舘涼太

なのよ。
そうなんです、宮舘涼太って“舘様”なんですよ。
この世にはこの感覚が分かる人と分からない人に大別されます。
多分だけど大半のだて担は前者です。
そして前者の人間は絶対に“舘様”やってる宮舘涼太を感じたことがあるはずです。
“舘様”は呼称だけに留まらない。
もちろん、“舘様”って宮舘さんのことを指す言葉なんだけど。
ぶっちゃけ万能用語のひとつだよね。
宮舘さんがかっこいい時に「舘様………!!!(感嘆)」って言ってもいいし、
愛らしいことしてるのを見た時に「舘様〜〜〜〜!!!!(愛でる)」って叫んでもいい。
宮舘さんのすっとぼけたお茶目さん言動に「だっ、舘様!!?!?(困惑)」となってもいい。

そう遠くない未来、誰かと
「舘様?(問い)」
「舘様(肯定)」
「舘様〜〜〜〜〜!!!!!(歓喜)」
とかいう、“舘様”だけで成立する会話だってしてみたい。


“舘様”は効果音になってもいいし、形容詞や比喩表現でも成立する。
どーんとかばーんとかででんとか、登場の時の効果音とかに採用したいワード“舘様”
これはひらがなでも可

「いやそれは“舘様”やん」「“舘様”じゃあるまいし」と、いつか私は日常生活で使ってみたい。

声に出して呼びたい日本語堂々の第1位“舘様”
それを冠す男、宮舘涼太



2年前、テレビを見てて共演者の方々が宮舘さんを指して“舘様”と呼ぶのを見てびっくりしていた。
公的な愛称だからとはいえ「舘様」というワードが普通に電波に乗って茶の間に流れているという事実に驚きを隠せなかった。
今となってはそれが当たり前になりつつある。

私が思っている以上に、宮舘さんが“舘様”宮舘涼太になっているのが嬉しい。

私はもう既にこの人を知ってしまっているけれど。
“舘様”と聞いて宮舘さんのお顔を頭に浮かべる人はどれくらい増えたんだろう。


私は宮舘さん“舘様”とは呼べないけれど。
でも貴方の中に“舘様”を感じる瞬間がとても好きだ。
宮舘さんが“舘様”だと感じられるのがすごく楽しくて、愛おしい気持ちになる。
宮舘さんの中に“舘様”を見い出すのが楽しいから定期的に記憶をぶっ飛ばして新鮮な気持ちで“舘様”宮舘涼太に触れたいという思いすらある。
“舘様”に触れて「あっ……!あぁ〜〜〜〜〜〜っっ!!!!なるほどこれは確かに“舘様”だわ………………(平伏)」と気づきを得る瞬間の脳汁の出方ったらない。

このフィードバックは病みつきになる。
それはきっと貴方の立ち振る舞いが“舘様”として板に付きすぎているのにも関わらず、貴方も含めて“舘様”って何なのかが割と結構かなり曖昧だから。
要するに言語化できないんだけど宮舘さんの立ち振る舞いがそのまま“舘様”の正解だから。

だから最近、こと自由に振舞っているのがすごく嬉しい。
かっこよくて艶があって、魅惑的な姿だけでなく。
愛らしくてお茶目で奔放な貴方も、それが貴方である限り、それもまた“舘様”だから。


私は宮舘涼太“舘様”とは呼ばないけれど。
貴方が日々“舘様”を更新しているのを見ることができて幸せだと思う。
私は宮舘さんが好きだし。
“舘様”も好き。
私にとってこのふたつは別物だから。
宮舘さんが好きで“舘様”が好き
言語化はすごく難しいけど。
宮舘さんが客観的にご自身を愛し、我々への愛情を具現化していった果てに出来上がったのが、きっと“舘様”だと思うので。



宮舘さん“舘様”も、更なる飛躍ができますように。


持ちうる限りの愛をこめて。

テレビ見てたらアイドルの沼に「ようこそ」された話

※最初に宣言しておきますが、これは酒のツマミになる話を見てあまりにもテンションが上がったので書いた白々しい架空の沼落ちブログです
※これを書いている人間は本来まる2年を過ぎたゴリゴリのだて担です。わざとらしく2年前、つまり私がまだときぶい担だった頃にスペックを戻して書いていますので、お読みになる皆様もその“てい”でお読みください











7月16日、遅い時間に帰宅してつけたテレビでやってた、『人志松本の酒のツマミになる話』
早い話がすべらない話の亜種みたいな番組。タレントがお酒を飲みながらのんびりとトークするっていうコンセプト。
そんな番組で、ものすごく気になる人を見つけた。
それが、Snow Manっていうグループの宮舘涼太くん
Snow Manというと、TOKIO国分太一の推しこと岩本くんという子がいるグループで、あと佐久間くんと向井くんて子がV6三宅健をこよなく愛していると聞いた。
そういえばデビュー曲がHIKARIさんの作った曲だったっけな。なんかHIKARIさん買いした記憶あるわ。うん、多分そう。少なくとも今の私の記憶上はそう。多分。

さてこの宮舘くんという人。すごく気になる。
何が気になるって言われると答えに困るけど、何なんだろうな。
とりあえず、私の第一印象は漢字一文字で

“艶”

だった。
できれば明朝体がいいな。少なくともゴシック体じゃないことは確か。
この人の何がそう感じさせるのかは分からない。でも何ていうか、艶がある。黒髪が似合ってるからなのか、髪と肌の色の差なのか、目とか唇の形なのか、あるいは声のトーンなのか。
何がどうっていうのは難しいけど、でも全体的なイメージとしては「艶」だな、この人。うん。
そんな風に考えながら番組を見ていた時点で、今思うともうこの人に負けていた。
だって普通に番組見てて、たった1人のタレントにここまで目を奪われるなんてことはまずない。しかも第一印象だけで。
番組が終わる頃にはほぼ鼻息荒くしながら


なんっなんだよこの人!!!!!!!


ってな具合になっていた。
後に思い知る。
ここが“沼”なのだと。





順を追って書こうと思う。
まずこの人、めっちゃ上品そうな感じなのに中ジョッキでビールを呷る。そこそこの勢いで豪快にビールいく、この人。
ビール好きなんだな……。へぇ、私の自担こと坂本くんもビール好きなのでここで何となく親近感(?)がわいてくる。
で、笑った顔がやたらと可愛い。ていうか目尻のシワがなんか目に入る。ちょっと下がり眉になる人だな。きゅうって笑うぞこの人。あとお口が豪快に開く人で、白い歯が見える人だ。
へぇ、笑った時に歯の割合がしっかりする人なんだ……。私の自担こと坂本くんもそのタイプだよ………。
と、冒頭の数分で既にこの人の様子をひたすら観察していた(この時点ではまだそれに気づいてさえなかったと思う)



さて、ルーレットが止まったところの人が口火を切った話題について共演者が乗っかってトークを繋いでいくこの番組。
宮舘くんが話したトーク
・パワースポットについて
・感銘を受けた歌詞
・自分の名前の由来(自己発信)



【宮舘くんのパワースポットは亀梨くん家】

亀梨くん家に行った、お世話になってる後輩が次第にデビューが決まっていった話。
まずTOKIOとV6世代にしかあんまり親しみがない人間にとって、先輩の家に出入りするとかいうエピソードがそもそも新鮮。当たり前だけど、合宿所じゃない。出入りするといえば少年隊の名前が出てくるわけじゃない。世代が違うんだから当たり前である。
しかし、そうか。亀梨くんか。世代を感じる。
この子は亀梨くんのこと尊敬してるのかな?なんか、そう思って見ると確かに雰囲気が似てる気がする。
だってほら、亀梨くんってネコ科だし
※私はかつて亀梨くんが『怪盗山猫』をやって以降ずっと彼のことをネコ科の生き物だと思って見てます
でも、亀梨くんはネコ科の中でも線の細いピューマみたいなイメージだけど、宮舘くんはややがっしりしてるからイメージとしては虎とかの方が近いかなぁ。肌が白いからホワイトタイガーかなぁー
私の最愛の人こと城島茂は公式で豹(柄)なのでやっぱりなんか親近感(?)が湧いちゃう人だな。絶対に同世代なのに。何でこんなにも年上の推しとの親和性が高いんだ。
しかしこの人ずっと姿勢がいいな……。




【感銘を受けた歌詞は玉置浩二の『田園』】

この辺りくらいで心が動くのを自覚する。
あれ、ちょっと待ってよ同世代の人の口から出てくる楽曲じゃないぞ??
絶対に私らの世代が親しみを覚える曲じゃない。私らが思春期に聞いてた曲っていうと、何だろうな。GReeeeNとかポルノとかか?それこそBUMPとかも私はずっと聞いてたし今も好きだけど。
感銘を受けた、思い入れがあるってことは日頃から聞いてるってことだ。Jr.時代に後輩のデビューを見送って、って話をしているし、それでチョイスするのが玉置浩二とは……。
急速に惹かれていくのが直感で分かった。
まずチョイスが渋い。メンバーとは話が合っているんだろうか。それともこの番組での共演者が上の世代だから敢えてのチョイス……いやでも、感情がこもったエピソード話してるしなぁ………。
と考えている頭の片隅ではずっと「歌った……」「歌詞を思い出しながら喋ってたと思ったら急に謎の訛りが出てきたと思ったら歌ってた…………」「なんだこの人、かわいいな」が渦巻いていた。
お酒が入ってるから普段より緩いのか元々こんな感じの人なのかは知らんけども、いずれにせよ多分ファンは堪らない。だって初見の私がここまで可愛いと思ってんだもの
何よりも、ちょっと喋り方がもちゃっとしててこんなに渋いチョイスで熱いこと言っててかわいらしいと思わせてきて。ワイパーぶん回してるみたいに振り幅見せてきてるのに、それでも総合的なイメージは“““艶”””のままだったのが不思議。
不思議だなこの人。何だろう、なんか目にとめておきたくなるんだよな。
それにしても、玉置浩二の『田園』かぁ……。他にはどんな曲を聞くんだろう。何となく、勝手なイメージで洋楽とか好きそうな感じだと思ってたからびっくりしちゃった。徳永英明とか聞いてないかなぁ、この人。レイニーブルー』とか聞いてようものなら飛び跳ねて喜んじゃうな



【真珠男子】

舘様」っていう紹介に衝撃を受けた。
何故だろう、「なんだ舘様って」という気持ちと同じくらい「なるほど舘様か」という気持ちも湧いてくる。
しかし、王子様かぁー。見てる印象としては「王子」って感じじゃなかったけどなぁ。むしろもう一個上の、「王様」みたいな……。一国を既に統治していそうな………

ひと言喋る前に突っ込まれる宮舘くん。
確かに、PTA会長ばりの高級さ。パールネックレスを私物で付けるタイプの方なんですね。この人はアクセサリーが好きな人なのかな。指輪とかもいいの付けそう。あんな真珠を惜しげもなく付けるくらいなら馬の蹄鉄みたいな奇抜な指輪とかも上手いこと身につけるんだろうな
と、この辺りくらいまではまともに見ていた。
まだ、まともだった。
でもこの自己紹介のくだりで死を迎えた。
ここからは私のリアタイ時のリアクションをそのままお届けしようと思う。

宮舘くんが自らを「真珠男子」と名乗る

私「へぇ〜、私は詳しくないけど最近はそういうのもあるんだぁ。そうだよなぁ、何にでも○○男子ってつける時代だもんなぁー」
※絶対に見ている人もみんな「へぇーそういうのがあるんだぁ」って思ってたと思う。みんなスタジオと同じリアクションだったと思う。

松本「今「真珠男子」って言葉があるんや」
※「そうなんですよ、最近は」って返ってくるものと思っている喋り方
※深い頷き
※でも「はい」って言わない


宮舘くん「ようこそ」



よ う こ そ



ここで一度私の全神経・全細胞が停止する。
そしてすぐに復活。
ようこそ?
ようこそって言ったか。
何に対するようこそだったんだ。
今これは何をウェルカムされたんだ。
何でこんなにまっすぐな声で言えるんだ
何だようこそって
私が一瞬停止していただけで本当は2ラリーくらいあったのか??
あれ、「ようこそ」ってどういう意味だっけ

盛山くんが「ようこそは合ってたんですか」ってツッコミを入れてくれて助かった。首がもげるくらいに頷いた
嘘でしょ、何でみんなそんな普通に笑えるんだ。
とんでもない衝撃で死角からぶん殴られたくらいに私は理解が追いついとらんぞ

まだ全然正気を取り戻せていないけど、宮舘くんが自分の名前の由来について全く淀みないトーンで話し始めたので頑張って一度「ようこそ」を頭から引き剥がした。
何故か録画されていたから(何故か)(※何故か)、とりあえずトークは聞こう。
※しかし何故あれだけ瞬間的にアウェーになったにもかかわらず喋り方に淀みがないんだ
※気を抜くと「ようこそ」に引っ張られる頭


【名前の由来について】

お名前の由来に関する話はすごく興味深くて元々大好きだった。
人とか物とか、何でも、由来があるものを聞くの大好きだし、これみんなトークするってことは色んな人の名前の由来を聞けるんだ!とワクワクした。


宮舘くん「僕の母親は元レディースの総長なんですよ」

私「待って」

また瞬間的に思考が停止する。
待ってよ。
レディースって言った?
えっ、いいの?この子アイドルなんでしょ!?
ジャニーズのアイドルが「僕の母親は元レディースの総長なんですよぉ」から始まるトークする!!?
いや目の前でしてんだけどさ!!!
父親バリバリのサーファーって言ってるけどぶっちゃけパパさんもヤンチャとかいうアレで済まないだろ!!?!?
ていうかそんなパンチの効いたトークの出だしを何で「真珠男子」「ようこそ」と変わらないトーンで話せるのこの人!!!!

宮舘くんの下のお名前「涼太」は、なるほど。漫画から取られているのか。
ヤンチャな両親に漫画からつけられた(しかもたまたま読んでたから)っていう宮舘くん。
何だかまたもやかわいらしいなぁって思っていたところへの

【宮舘一発目だぞ】

を聞いて。
おおっと坂本くんだと思っていたこの人はまさか長野博だったのかな!!?
となってしまいました。
V6と掛け持ちしている誰かがいたら聞きたい。
これは絶対に言葉の発砲事件コースだよな!!?


何だこの人。
坂本くんみたいにビールを飲み。
リーダーと同じネコ科で。
長野博ばりに言葉の発砲事件を起こす。
そんな人間から放たれる「ようこそ」


頭がパンクして死ぬかと思った。
番組を終えて真っ先に検索エンジンに「宮舘涼太」の名前をぶち込んだ。
もうそこからは怒涛。

あっ、調べてみたらちょうどこないだシングル出たとこなんだ。
YouTubeあんの?へぇ、あっ、最新でなんか上がってるやつ、レコーディング映像とかあんの!?今どきのジャニーズって!!?うわぁ、マジか。人が歌ってる姿見るのめっちゃ好きなんだよね、1回見てみるk……沼ァァ……………orz






もうムリ。
これはダメ。
落ちた。
ここが沼。


たった2日、されど二日
宮舘くんをはじめSnow Manというグループについて調べに調べた。
恐ろしいことに、この宮舘くんという人は本当にあんな感じらしい。
突拍子もないことを真顔で言う人で。
お酒が強い人で。
料理が上手くて。
ペットを可愛がっている(インコって何だ、チョイスがかわいいな)
なんと夢は時代劇に出ること。
殺陣が上手いという情報を知った時は目眩がした。
※同じグループに幼馴染みがいるとかいう情報は一旦見ないことにした

何だこの人。
何でそんなにも私が今まで通ってきたありとあらゆる「好き」の要素をちょっとずつ全部持っているんだ。

坂本くんみたいにビールが好きで料理が得意でペットを可愛がる人。
リーダーのようにネコ科っぽい空気を身に纏って時々イタズラをする人。
長野くんばりに突然の言葉の発砲事件を起こしケツが魅力的な人。
私が幼少期に憧れたヒーローのように殺陣(アクション)をする人。
カッコつけてかっこよくて、それなのに愛らしい表情をする人。
何でそんな、私が好きになるべき存在そのものみたいな形をしているんだこの人は。
抗えるわけがないだろうが


たまたま(※そう、たまたま)見た番組に出てた人に惹かれるなんて経験は流石に初めてだった。
どうやら宮舘くんのファンは「国民」と名乗るらしい
※まさか“王子様キャラ”が比喩ではなくて本当に王国がある設定だとは思わなかった
※知った時はひっくり返るかと思った

なので私も今日からは「国民」を名乗ろうと思う。
そうか、なるほど。
あの日宮舘くんが言っていた「ようこそ」王国の入り口からの言葉だったのかもしれない。
、もとい、王国
いつか私も国民としての振る舞いが板につき、私よりも後から国民として王国へやって来る人に出会った時に。
ちゃんと言えるように練習しておこうと思う。

ごきげんよう
そして
「ようこそ」の言葉を。