主にひとりごと

タイトル通り、ときぶいすの担によるひとりごとです。感じたことを語ったり、好きなことを話したり

何がどれだけなくなったのか(二十日鼠と人間 感想)

健くん主演舞台『二十日鼠と人間』11/8公演を観劇してきました。
人の3倍くらい涙もろい自覚があるんですが、はっきり言って始まって10分くらいで、目が潤んでしまってました(笑)
序盤から最後のシーンに至るまで台詞や展開の回収がとても見事で、それ故に哀しい、けれど抗いがたい人間の在り方というのがあって、胸がギューッと締め付けられるようなそんな話でした。
以下、観劇の感想です。かなりのネタバレをしてしまっています(大阪千穐楽後に投稿しておりますのでネタバレも何もあったもんじゃないかもしれませんが)。あと個人的な解釈を大いに含みますのであくまでも「個人のいち感想」としてお読みください。

1930年代、アメリカ。世界的な恐慌に見舞われた時代を生きた2人と、それを取り巻く人々との、ある農場で起きた話。それが『二十日鼠と人間』である。
片や、知恵があって機転がきいて、口も上手くてやり手なジョージ。
片や、図体がでかいばかりのうすのろで何でもすぐに忘れてしまう、“大きすぎる子ども”のレニー。
レニーが行く先々で問題を起こすせいでとばっちりを食うジョージ。
ジョージにあれこれと言いつけられながら、決められた約束を必死に忘れないように守ろうとするレニー。

レニーという男は、気のいい男ではあるのだけどはっきり言って知恵が足りない。下手をすれば人並みの善悪の区別すらつけられないような男で。
どうしてジョージがレニーのような男と、行く先々で面倒ごとを起こされると(長い付き合いで)分かりきっているのに、それでも一緒にいるのかが率直に言うと理解できない。
事実、ジョージはレニーが原因で作中でもイライラする場面が多かった。レニーといる時のジョージは苛立って、怒鳴り散らす場面が多い。それなのにどうして、ジョージはそれでも懸命にレニーを守ろうとするのか。
「お前さえいなけりゃ、一人ならもっと上手くやれてる。金も貯まるし、面倒ごとは起こらない」とレニーに突きつけるように言いながら、ジョージはそれでもレニーを決して手放そうとはしない。
ジョージのその「不可解さ」を観劇する側は見ながら、周囲の登場人物と共に考えなければならない。
舞台『二十日鼠と人間』の本質はそこにあるような気がしている。


冒頭、レニーに苛立ってナイフを振り回し脅した後で、レニーが「おれ、一人で洞穴を探して、そこで暮らしたっていいんだ!(ジョージと離れてしまったって、拒絶されたって文句は言わないんだ)」と言った途端にジョージが泣きそうになりながら「一緒にいてくれ」と懇願するシーンで涙が止まらなくなってしまった。
何が1番哀しかったって、(私が1度しか観劇してないので記憶が曖昧だったら申し訳ないが)レニーはジョージが「一緒にいてくれ」と懇願する時には「洞穴で暮らす」選択肢をまだ持ちかけるのに、最後にジョージに「一緒にいろ」と命令されてはじめて嬉しそうに頷いたこと。アレが、とにかく言いようもなく悲しくなってしまった。

そんな2人には夢があった。2人でお金を貯めて小さな土地を買い、果樹園を作り家畜を育てて、自分たちで育てたものを自分たちで消費すること。「大地の恵み、だけで暮らす」こと。
そこでどんなことをして、2人はどんな風に暮らすのか、ジョージとレニーの夢をジョージに語ってもらうのが、レニーはとっても好きだった。
何でも忘れてしまうレニーが、ジョージとの夢は忘れずに、でも細かいところを覚えていられないからジョージに話してよとねだる。面倒そうにしながらもジョージはレニーに語って聞かせる。
“2人の夢”の話。

北の職場を追われ逃げるように新たな農場へとやって来た2人は、そこでキャンディという老人の掃除夫と出会う。
キャンディは片手がなく、半ばその農場で飼い殺しにされていた。ずっと共に暮らしてきた老犬を、周りの農夫仲間に邪険にされながらもずっと大事にしていた。
けれど限界を迎えた農夫仲間のカールソンがその犬を始末してしまえと怒鳴った。
「自分でロクに歩けない、歯もなく物も食べられない、臭くて汚いそいつを生かしておく意味なんてないだろう、生きてても死んでもほとんど同じなんだからさっさと殺しちまえよ」と。「あんたがやれないなら俺がやってやる。後ろから頭を撃てば苦しまず痛がらず、楽に逝かせてやれる」と。
そして仲間内のスリムが飼う犬の元に生まれた子犬を新しくもらえばいい、と。
ずっと一緒にいたんだ、代わりはいないんだと拒否するキャンディだったがカールソンに押されて流されるままそれを受け入れてしまう。
彼は老犬を連れていき、農場から少し離れたところで、銃声が鳴った。

このシーンを見た時点で既に、うっすらとジョージとレニーも最後にはこうなってしまうんだろうと予感があった。
どうしてそばに置いておくのかと問いただされ、生きてても死んでもほとんど同じだと揶揄される存在を、それでも「ずっと一緒にいたから」と守ろうとする光景は、ジョージとレニーの関係そのままじゃないかと思ってしまった(実際、そういう対比が狙って描かれていた)。
カールソンに老犬の生死の行方を委ねてしまったキャンディは、ジョージにだけ言った。
「あいつ、俺が殺してやりゃよかった」と。そうしてやるべきだったんだと泣きながら。
人の3倍くらい涙もろいので、私はこの時点でラストの光景を想像して涙が出てきたし終盤に向けてそうなっていく展開がどうしても見ていて辛かった。
つまりジョージにとって、レニーとはそういう存在で。


作中、「どうしてお前ら2人でいるんだ」という旨の言葉がたくさん投げかけられる。頭の足りないレニーの上前をジョージがピンハネしようとしているのかとか、心無い言葉も飛んでくる(ジョージはそれを怒鳴って否定していた)。
時代は1930年代、恐慌の最中に生きることに必死になっていた人たちは、「自分以外の誰か」のことを気にかける余裕なんて本来なくて、「みぃんな、自分じゃない奴のことを怖がっているんだ」というようなことも作中で語られていた。
けれど、一人でなんてやっていられない、とも言われていた。「男は、一人でいたら狂っちまうんだ」と。

ジョージは、レニーといることで自己を保っていたんだろうかと思った。
パンフレットのインタビューでは「今でいう共依存の関係」とはっきり健くんが言っていて、事実2人の関係は……というか、ジョージがレニーを手放さない理由の1番大きい部分はそこにあるだろうとは大方予想ができる。
他の連中は一人きりだが2人は違う。ジョージにはレニーがいて、レニーにはジョージがいる。
これは冒頭と終盤で口にされることだった。「俺たちは、お互いを気にかけている」と。
レニーはジョージがいなきゃ生きていけない存在だと、それは生きる知恵の部分等において明確に示されているけれど、ジョージにとってレニーがどうして依存に値する男なのかは一見すると分からない。
ジョージがどうしてレニーを手放せないのか。どうして、あれこれレニーに注文をつけて「話すな見るな黙って突っ立ってろ」と面倒ごとを回避しようとレニーから自由を奪う一方で、レニーに目をつける男たちからレニーを庇うように必ずその連中とレニーとの間に立って視線を遮るようにして守るのか。

はっきりとした正解は示されなかったしきっとそういうのが所謂“余白”というものだから想像するだけたくさんの答えはあるんだろうけど、個人的にはジョージにとってレニーは最後の防衛ラインだったんだろうなと思った。
本当に何でも一人でやっていける男であるのなら、ジョージはきっと実際に一人で生きていくんだろう。だってその方が面倒ごとがなくて楽なんだから。
けれど、作中でのジョージを見ていると彼は割と物事を穿った見方をする喧嘩っ早い男なんだろうなという印象も受ける。レニーを守るためだけではないところで言わんでいいことを言って反感をかうような、攻撃的であることで先に自分を守るような、そういう男という印象。
それは作中の登場人物の大半に共通している部分というか、時代背景的にも「生きたきゃやられる前にやれ」感がある、とにかく「自分を保つ」ためにみんな必死で孤独と戦うことが必要な時代だったんじゃないのかなと思う。
ジョージもそのあたりは例に漏れず、けれどレニーは本当に気のいい男で、彼が何度も口にする「悪気はない」男だった。
そういうところが、ジョージにはレニーが愛おしくて美しくて仕方なかったんじゃないんだろうか。

上手いこと言えないけど、ジョージは「一人でも生きていけるけど一人だとやってられない男」で、レニーは「一人にだってなれるけど、一人じゃ生きていけない男」で、ジョージにはそれが分かっているからこその共依存関係だったんじゃないかなと。
レニーを気にかけ守ることで、2人でいることでレニーから最大の敵である「孤独」を遠ざけてもらっていて、だから疎ましくて仕方ないと思うことも多いけど手放せない、そんな存在だったように思う。


だけど、ジョージは頭の回る男だから心のどこかではきっと本当に、“2人の夢”は夢でしかないことを分かっていたのかもしれない。
農場で出会ったキャンディに2人の夢を知られ、俺もその話に乗らせてくれよと持ちかけられる。彼には密かに貯めてきた金がある。仲間に入れたら、2人が欲しいと願った土地を買い取ってそこで暮らすという夢が不意に現実味を帯びてきた。
そんな中、やっぱりレニーは面倒ごとを起こしてしまう。自身の怪力で、農場主の息子であるカールの奥さんを殺してしまったのだ。もちろんレニーに悪気はなかった。けれど冒頭でジョージが言った通り、「面倒ごとってのは悪いやつが起こすんじゃない、馬鹿なやつが起こすんだ」レニーはまたやってしまった。
スリムにもらった子犬も殺してしまった。悪気はなかった。甘噛みする子犬にほんの少し手をあげたら死んでしまった。それをレニーは「悪気はなかった。でもジョージにまた怒られるから隠さなきゃ」と言ってしまう。
レニーにとって、人や動物の死よりも、自分が殺してしまった罪よりも、ジョージの怒りの方がよっぽど大きくて重いことが示されている。レニーという男が、それほどにあやふやで危なっかしい存在だということも。

そしてジョージとキャンディが死体を見つけた時、キャンディはレニーを探しにいこうとするジョージの腕を掴んで引き止めて「俺と、お前さんの2人で農場を買おう」と口にしてしまった。
きっとこの言葉も、この舞台における核のひとつだと私は思う。
キャンディにそう言われたジョージはやりきれない顔で「俺と、アイツの、“2人の夢”だったのに」と言った。この場面は物悲しさが際立っていたように感じた。
ジョージにとってのレニーと、キャンディにとっての老犬は同じような存在として描かれていて、キャンディは老犬に「代わりはいない」と言っていたはずなのに。キャンディがジョージに自分をレニーの代わりにしろと縋り付く場面が辛くて仕方がなかった。滑稽で、愚かで、でも孤独と戦い生きることに懸命なキャンディを責められる人はいないけど、キャンディの言葉はジョージにはきっとすごく深いところまで刺さってしまったんだと思った。
物語のラスト、ジョージはレニーと“2人の夢”の話をしながら、お決まりの「他の奴らは孤独だが俺たちは違う」と、お互いにお互いがいることを口にしながら、カールソンから盗んだ拳銃で、レニーの後頭部を撃ち抜いてしまう。苦しませず、痛がらせず、自分の手でレニーを楽に逝かせてしまう。
ジョージの言うことを何の疑いもなく聞き入れて、むじゃきに、奔放に、愚直に従うレニーをジョージは泣きながら撃ってしまい、レニーは穏やかに笑った顔でぐにゃっと倒れ込む。最後のシーンは個人的にはただただ哀しかった。

あの時代を思った時、ジョージの選択が残酷なのか傲慢なのか、痛ましいことなのかそれとも優しさなのか、色々と意見は出せると思う。
ただ、ジョージにとってレニーを殺してしまうのは、同時に自分を孤独から守ってくれていた存在を無くしてしまうことでもあって。
大げさな言い方をすれば「ジョージをほとんど唯一、真人間に縛っていた」存在のレニーを自ら撃ち殺してしまったジョージは、自分を自分であらせてくれる最後の砦を壊してしまったことで自分のことも一緒に殺してしまったようにも見えて、それが哀しくて寂しくて堪らなかった。



ジョージとレニーの関係が作る美しさが無情すぎるほどに壊れていくのは哀しいと同時にやっぱり美しくて、正直なところ作品としては完膚なきまでに救いがない話だと私は感じたけどその無情さがとても素敵だとも思った。
傷つく人たちの傷ついている光景を、その世界に連れていってもらうことで疑似体験するみたいにグッと重く刺さる作品だったなという気持ちになった。
演出の鈴木裕美さんが健くんに「この戯曲の世界に連れてってほしい」と言ったんだと、健くんはパンフレットの中でも雑誌等のインタビューでも再三にわたって話していて。その無情さ、懸命さ、滑稽さを逃げ場もないくらいに全力でぶつけられるあの舞台は「あの時代」とか「あの農場」の世界をやっぱりちゃんと描いていて。
私は健くんによってあの世界に連れていってもらったし、あの世界を、あの時代を生きるジョージとレニーは確かに美しかった。
あの世界とあの2人の「水先案内人」として舞台に立った健くんのことを改めて好きになれたし、美しくも愚かしいあの時代の人間の生き方を見せてくれた人が健くんでよかったと思った。
あのラストの、その先のジョージがどうなってしまうのかは分からないけれど、それでも生きて欲しいと願いながら。